カテゴリー「美術」の記事

2009.08.08

治る見込みのない病気

当時のヴェネツィアはイタリア文化史上、ひとつの頂点を迎えていた。頂点とは爛熟という意味において。通常、高級娼婦、と訳される彼女たちの交際相手は、貴族や高位聖職者に限られていた。彼女たちは美貌と肉体だけでなく、文学や詩、哲学や神学にも優れていた。そのうえ楽器を演奏し、歌がうたえるなど「文化のあらゆる分野にわたる教養を身にそなえていることが肝要であった」。彼女たちは、愛人たちの富と権力を背景に、贅をつくした、そして文字通り爛れた生活を送っていた。そして闇への扉はいつも開いていた。

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2008.04.07

画廊の試み

土倉 昔で言えば、特に目的もなく、画廊にふらっとお客さまが遊びに来られて、世間話をしいくって感じでしたね。お客さまがいらっしゃらないときはどちらかというと、暇な状態のほうが多かったから。
齋藤 その通りですね(笑)。

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2008.03.27

死亡届

死亡届

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2008.01.20

男に決まっている

学問界隈では「ジェンダー研究者」を名のってよいことは何もない。業界内の周辺部に追いやられるだけである。とりわけ、美学や芸術学の分野に「ジェンダー」などの、俗世間の変数を持ちこむことはタブー。美の価値は、時代も世代も性別も超える、と考えられているからだ。若桑さんは、その頃すでにエスタブリッシュメントだったが、腹をくくってジェンダー研究を引き受けられたのだと推察する。

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2007.11.03

ゴミ捨て場の絵

ニューヨークの女性が4年ほど前、コーヒーを飲みに行く途中でゴミ捨て場に1枚の絵を見つけ、気に入ったので家に持ち帰って飾っていた。

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2006.05.25

後戻りできない身体

若い世代の間で、「ファッション」や「カルチャー」として広がりを見せるタトゥー。しかし、「大人たち」にとっては、「なぜ?」という問いが浮かぶ。一生消えない文様を体に刻み込む、その理由は何なのか?

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2006.03.24

霞で省略

赤瀬川 いい加減さ。ゆっくり、しばらく放っとく。一種の曖昧さですね。
東海林 一足す一は二以外は無いよ、と言わないで。
赤瀬川 「ビールを二本ぐらい」と言うでしょう。あの「ぐらい」をコンピュータに導入する。

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2005.07.23

浮世絵ショック

鶴見 ゴンブリッジという美術史家がいるんです。ナチを避けて研究所そのものを携えてロンドンに亡命しちゃった人。

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2004.10.19

最良のモデル

 仏画のポーズは実際に人間がやってみると無理な姿勢なんだけど、それが絵になるときれいに見える。そういうポーズもこの人に頼んでモデルをやってもらっている。ほかの人の作品でインパクトがない場合、たいていは、そのモデルになっている人が人間のありのままの姿をしていて、それをそのまま絵に描いているからだと思う。

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2004.09.22

サヴァン能力

実際、写真を見ながら描いたわけでもないのに、まるで写真で撮影したように、正確な絵を描く能力を示す子供たちがいる。「サヴァン能力」という極めて希に現れる能力を持った子供たちがそうである。

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2004.08.10

家康真正面像の謎

真正面を向いた武将の画像など、ほとんど例をみないが、家康はあえてそのような肖像画を描かせた。それは「三方ヶ原の戦い」で信玄に追われ、命からがら逃げたときの己の姿である。憔悴しきった家康の表情から、別名「顰像」と呼ばれる。

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肖像画はなぜ右むき顔か

昔の肖像画(似絵)は一般に描かれた人物が右向きのものは本人をまえにして活写した作品、左向きの場合は絵師があとから家族や関係者にきいて想像しながら描いたものとされる。すべての肖像画がこの原則に当てはまるわけではないが、昔からわが国の絵師のあいだではそのようなならわしがあった。

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2004.08.02

泥パックの台紙に和紙活躍

ルネサンスの自由な精神の体現、ミケランジェロが約5メートルの大理石のかたまりから掘り出したダヴィデ像。この像がフィレンツェのシニョーリ広場に置かれてから、今年がちょうど500年目にあたる。この「大記念日」に向け、表面の洗浄を中心とした修復が8ヶ月をかけて実施。その修復に一役買ったのが日本の和紙である。

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2004.07.20

「最後の晩餐」に描かれる女性

「待ってよ」ソフィーは言った。「聖杯は女性なんでしょ? <最後の晩餐>に描かれているのは、十三人の男性よ」
「ほんとかね?」ティーピングは眉をあげた。「よく見るといい」

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2004.07.15

ルーヴル・ライト

この壮大な建造物全体を一望にとらえようとするわが目のむなしい試みに、ラングドンはいつもながらかすかな驚きを覚えた。美術館は圧倒的なまでに広い敷地を占め、堂々たるファサードが城砦のごとくパリの空を切りとっている。

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2004.06.16

おかしな構図、歩く芸妓

広重の「真乳山山谷堀夜景」は「美術作品」を制作していたのではなく「情報」を製作していたのだと理解した。

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色の持つ象徴性

小松 ローマ法王は金でしょう?

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2004.06.14

スペインの小さな村

少し前の『ライフ』を読んでいたらカルトハル(だと思う、正確にはCaltojar)というスペインの小さな村の写真が載っていた。この村はマドリッドの北西約百六十キロにあり、人口は二百七人、電話は村じゅうに一本しかない。人々は豆を作ったり、羊を飼ったりしている。すごく平凡な村である。

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2004.06.12

形の認識と精神発達の関わり

ものはそれぞれ固有の形をもっている。色と同じように人間はその形を認知してさまざまに判断や感情に変えていくのだが、その過程において一定の法則がある。

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2004.05.11

ゴッホの黄色と意識喪失

黄色を頭に浮かべて絵を想起するときに、まず最初に浮かんでくる画家はゴッホである。跳ね橋や杉木立や麦畑の天空には、常にギラギラと燃え盛る太陽が顔を出している。それは、目くるめくように円弧を描き、物象の表面をはねまわり、しかも物の内部へと浸透していく。

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2004.04.18

マゼンダの歴史

赤は情熱を表す色であるが、日本人は、朱色や緋色をみごとに生活に溶けこませているにもかかわらず、洋服としてこの色を用いることに、長い間躊躇を示してきた。

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