自分の身体の過剰適応
ああ、遊びがないんだなとつくづく思ったのは、少女たちが追い込まれた拒食症と過食症についての中島梓さんの分析(『コミュニケーション不全症候群』)に収められている)を読んだときである。
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ああ、遊びがないんだなとつくづく思ったのは、少女たちが追い込まれた拒食症と過食症についての中島梓さんの分析(『コミュニケーション不全症候群』)に収められている)を読んだときである。
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とにかく明治四十年までは素晴らしい国でした。それが日露戦争のときに、バルチック艦隊の最後の一艦が沈んでから悪くなった。日本は強い、日本は神秘的だ。そういうことになってしまいました。
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今回の災害をめぐる外国メディアの報道に、一喜一憂する必要はまったくない。メディアとは、国外国内を問わず、次の性格を持つものだからである。
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人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならね。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。
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桂文楽さんが最後につとめた高座は、昭和四十六年でした。年も押し詰まった十二月に亡くなるのですが、その前の八月の末でしたか、東京の国立劇場の小劇場で『大仏餅』を演ることになった。これは三遊亭円朝原作の噺でね、噺そのものはちょっとも面白くないけれど、文楽さんの重要なレパートリーの一つで、それを国立の高座に掛けたわけです。
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私の下宿は三畳だった。畳が一畳に、あとの二畳が板の間という、なんか訳のわからない部屋ですけれども(笑)、当時の私にとりましては城であります。この三畳の城にどんな武器があったかと言いますと、ソニーかナショナルか忘れましたけれどもトランジスターラジオ、ソニーのテープレコーダー、三省堂の『アクセント辞典』の三つが三種の神器でありました。
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―客観的世界に加えて「過去」についても、「どこにも存在しない」と繰り返し説いています。過去が存在しないというのを実感するのは難しいですね。
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そして終戦を迎えました。学校のあった日暮里は上野に近く、そこは空襲で焼けましたけれど、隅田川を越えたところに家があって、そっちへ移っていました。ですから隅田川はよく自転車で越えたんですが、橋の上へ行きますと、必ず人だかりがある。欄干から下を覗くと、そこに死体が四、五十体も浮かんでいるんです。三月十日は下町一帯がみんな焼けましたが、火に追われて熱いものだから、川のなかに身を浸す。ところが火災は酸素を奪うので、人は窒息状態になり、そのまま死んでしまったんですね。
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日本というのは、明治二十二年もしくは明治元年に、アジアで生まれたただ一つの近代国家です。不思議なことに、次がなかなか生まれませんな。アジアの人たちは、明治維新の真似をしようと一所懸命やったのに、なかなか成功しない。それは、どこの国も、江戸時代というものを持ったことがないからです。
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辺見 死んでしまえば第三者には思い出されることもないかもしれない。でも。「あ、この人こういうことを考えていたんだ」という自分の存在を歌や句に託して遺しておくのは必要かなって思っています。
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この会社の経営方針を担っているのが、一人一人の社員です。社員を幸せにする会社を永続させるためには、社員の自覚が必要不可欠です。そのために、新入社員の研修から人間教育を行っているのです。
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もうひとつは、世界のイスラム教徒に対して、そのカリスマ性をこの際徹底的に破壊してしまおうという狙いである。「自らの映像を見るビンラディン」の、しょぼくれた老人が神経質にリモコン操作する映像は、これまでのビンラディンのイメージをぶちこわした。さらにポルノビデオのコレクションに至っては、決定的である。
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独りで磨く
山や谷の 草木の刺は
けずらなくても鋭い
鹿の眼は
眼薬をささなくても澄んでいる
沼の蓮の花は
香料を付けなくてもよい香りがする
紳士は
その人柄が自ずと現れる
ローカニーティ処世訓
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素数を使った意思疎通はSFの世界だけのものではない。オリバー・サックスは『妻を帽子とまちがえた男』という著書のなかで、ジョンとマイケルというニ六歳の双子の兄弟について述べている。
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そういえば、カエサルは怒らない権力者であった。その男を書く以上はとあらゆる資料に当ったが、反カエサル派の書いたものにも怒るカエサルは不在なのだ。一度だけドスを効かせたことはあったが、いつもそうでないのでそのときは効いたのである。
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原子力の危険は、普通のなかの密航者となる。風や水と一緒に旅をし、あらゆる人と一緒に旅をし、あらゆる人や物のなかに隠れ、生命にかかわるもの―呼吸のための空気、食物、衣服、住居―とともに、近代のあらゆる安全地帯を通り抜けてゆく。原子力による危険が想像不能であるため、現実に存在する残余リスクのことを考えると、この残留放射能にはきわめて大きな影響力をもつ共犯者がいるのである。
ウルリヒ・ベック/福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来『世界2011・7』
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保阪 原発も、「すぐに収束できる」という楽観論に流れて、初動を大きく誤った。まったく同じ構図ですね。
戸高 「絶対安全」「不沈戦艦」「無敵皇軍」「絶対国防圏」・・・・・・これがことごとく崩されてきたのが日本の歴史なんです。絶対という言葉がついた瞬間、手を抜くようになってしまう。絶対が崩れたときにどうするかというシステムもない。個人の能力頼みになってしまっている。これは最近の雑誌で読んだんですが、自衛隊幹部の発言として「原発は絶対安全が前提条件なので、それが破れた場合の訓練をすることができない」とあった。
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岡ノ谷 そこで意識なんですが、意識って何であるんだろうと思うわけですよ。たぶん動物たちも意識はあるんですけど、僕らとはちょっと違う意識で、動物たちは「死ぬのは嫌だ」とか中島義道さんみたいなことを言わないわけです。「あのときああしていればよかったな」とくよくよあまりしないと思うし、「明日雨かな」とかもたぶん思わないと思う。もちろん食肉処理場のルポルタージュを読むと、牛たちは、運命を受け入れてものすごく悲しそうなやつもいれば、死ぬのが嫌で騒いでいるやつもいる、というのはあるけれども、それはあそこを通過したあと自分の存在は無になるということではなくて、何か痛そうだとか、そういうことであろうと思われるわけですね。
小川 人間に比べて、意識の及ぶ範囲が限定されている。
岡ノ谷一夫×小川洋子『言葉の誕生を科学する』河出ブックス2011年
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岡ノ谷 言葉もろくにしゃべれないうちからごっこ遊びってするでしょう。僕らもそのときに同じことを思いましたね。
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