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2011.06.30

なぜ原発音頭は生まれなかったか

―ところで、『「フクシマ」論』はゲラで読ませてもらいました。お世辞じゃなく、本当に面白かった。特に双葉町長の田中清太郎の"小物"ぶりと、その次の双葉町長の岩本忠夫が"転向"で果たした役割についての分析が興味深かった。原発労働者にもたくさん会ったでしょうから、お聞きしますが、同じエネルギー産業に従事しながら、炭鉱労働者には「炭坑節」が生まれたのに、原発労働者に「原発音頭」が生まれなかった。これはなぜだと思いますか。

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2011.06.29

正力の熱弁

原子力平和利用使節団一行が来日して四日後の昭和三十年五月十三日、日比谷公会堂で読売新聞主催の原子力平和利用代講演会が開かれた。開会の挨拶に立ったのは、正力だった。正力はこんな熱弁をふるった。

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2011.06.28

相馬の過去

天明の飢饉は、まさに地獄の状況を現出させたのである。

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2011.06.27

認めない東電

この書類が一括して入った東電のネーム入りの封筒には、「仮払補償金請求書」の記入見本や、当該地区自治体の長への委任状も同封されていた。
まことに至れり尽くせりというか、かゆいところに手が届くというか、懇切すぎて嫌味さえ感じる説明書きである。
この書類を長々と引用したのは、ほかでもない。東電という会社の体質がよく表れていると思ったからである。

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2011.06.26

定置網の帝王の嗚咽

山根はその日から酒が切れなくなった。この日も、酔って身体が少しふらついていた。私がする質問の答えも呂律がよく回らず、ほとんど聞き取れなかった。

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2011.06.25

私の知的怠慢

原発のうすら寒い風景の向こうには、
私たちの恐るべき
知的怠慢が広がっている。

佐野眞一『津波と原発』講談社2011年

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2011.06.24

お盆のような混み方です

ブログに私がそう書いた後に、「パニックを煽るような発言を慎め」という批判がネット上にずいぶんあった。だが、西行きの新幹線が「お盆のような混み方」というのがパニックに当たると私は思わない。

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2011.06.23

剖検により歳相応

こうして平沢は死刑確定(1955年)から32年後の1987年5月、八王子医療刑務所で95年の生涯を終えた。晩年は画作に没頭、個展を開いたり画集を刊行したり、外見的には軽快を思わせる精神状態だったようだ。

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2011.06.22

「別」側に立つ人間

日本人は、自分たちとは違う。別の世界観を持った別種の人間である。かれらを理解することはむずかしく、容易に納得できないことがある。ルール氏はおそらくそう感じている。それが日本人のわたしには感じられる。

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2011.06.21

小人閑居して不善を為す

私は1970年代のトイレットペーパー買い占め騒ぎの時、たまたま別の用で行った薬局のオバサンに「トイレットペーパーある? いるんだったらあるのよ」と囁かれて以来、だから、そうした種類の「物不足」を虚偽だと思っている。だから、スーパーやコンビニの陳列棚の一角が空っぽになっているのを見ると、ただ「よく分からない」と思う。なんでこんなことになるのかと考えて、「小人閑居して不善を為す」という古い言葉が頭に浮かんだ。

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2011.06.20

今のほうがきつい

―最後に、若い読者へ何かメッセージをお願いします。

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2011.06.19

第三のエリートは羊だ

1993年春、ブルブリスが政治的チェルノブイリのたとえに続いて三つのエリートについて筆者に説明したときの話を思い出す。

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2011.06.18

まだやでえ!

阪神大震災の際の「笑い」
1995年に発生した阪神・淡路大震災の時も、関西人たちは得意のユーモア精神を失わなかった。

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2011.06.17

言語は人間特有の能力

吉成 言語は人間に特有の能力だとお考えですか。また、他の知的能力とは明らかに異なるものでしょうか。

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2011.06.16

世界有数の富裕地での教育事情

イギリスなど他国もそうですが、今アメリカでは驚くようなことが起こっているのです。カリフォルニア州を例にとってみましょうか。

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2011.06.15

図書館とICチップ

三浦 言語・法・貨幣の実在性は人間の頭脳の中にしかないわけですが、そのシステムは客観的ですね。とすれば、人類が滅亡すればシステムも消滅するというのは、それは嘘だと思う。
岩井 まさにそうです。

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2011.06.14

神の怒り落つ

あの大空襲の朝、絶え間ない猛爆撃のおかげで寝もやらず朝を迎えた私は、それでもちゃんとゲートルを巻き、当時の中学生用の白い学生鞄を肩からかけて、下宿先の目白の伯母の家から山手線で新宿に行き、総武線に乗り換え飯田橋に向かったのだ。

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2011.06.13

すでに面映ゆく礼賛を読む

日本への礼賛

 高銀  訳=青柳優子

どうして あの空前絶後の災難に
口をあけ
空言を吐けようか
どうして あの目の前のまっ暗な破局に
口をつぐみ
顔をそむけられようか
なすすべもなく ただただ画面を見つめる
何千とも
何万ともわからぬ 日常の善良な生命(いのち)のむれ
もはや生きられぬ
母さんも
赤ちゃんも
じいちゃんも 押し流された
父さんも
姉さんも 友だちも 汚泥の山のどこかに埋もれた
あんなにも大事にしていた あなた方の家
みな流れていった
船が陸(おか)にあがってひっくり返り
車がおもちゃのように流れていった ミルクも水もない

人間の安楽とは いかに不運であることか
人間の文明とは いかに無明であることか
人間の場とは いかに虚妄であることか
あの唐山 あのインドネシア
あのハイチ
あのニュージーランド
今日ふたたび
日本の事変で
人類は 人類の不幸で 自らを悟る

ハンギョレ新聞2011年3月15日より転載『世界2011・5』

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2011.06.12

武谷三男氏

敗北力の裏打ちのある勝ち戦を進めることができたのが、児玉源太郎、大山巌の率いる日本の軍隊だった。しかし、この敗北力は大正・昭和に受けつがれることがなかった。

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2011.06.11

アカシンタチ

相馬から双葉、大熊一帯は相双地区と総称されるが、その相双地区への集団入植は、相馬中村藩によって積極的に進められた。それは天明の飢饉で藩内に大量の餓死者を出したためで、これにより人出不足による農地の荒廃が進んだ。

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2011.06.10

葬式不要論

池上 最近、「葬式は要らない」という風潮が出てきました。団塊世代がいよいよ親を見送り、自分たちの時はどうしたいいか・・・・・・と考える年代になったからかもしれません。

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2011.06.09

キムチの背景

韓国を代表する食品であり、2006年には米国の健康専門誌「ヘルス」誌上において世界五大健康食品にも選ばれたキムチ。

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2011.06.08

寺の役割

池上 国家のいろんな行政組織が整備される前、昔のお寺はそういう役割をしていたわけでしょうね。

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2011.06.07

私のいのちに触れる現場

池上 では伝統仏教を再活性化するためには、どうしたらいいでしょうか。

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2011.06.06

毛細血管を増やすには

筋肉を使わないとどうなるか。

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2011.06.05

多言語存続の条件

複数の民族が共存する社会では、複数のことなる言語が使われる。ある民族の言語が消え去る場合もあればうまく共存する場合もある。

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2011.06.04

急性期リハの大事さ

一口にリハビリテーション(以下リハ)医療というが、単なる機能回復訓練や後遺症に対する治療ではない。

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2011.06.03

三つ目の選択・・・冷凍保存

1970年代までは、死を迎えたときの選択肢は、土のなかで腐るか煙となって空にのぼるかの二つしかなかったが、今や三つ目の選択肢がある。冷凍されて、将来の技術をもって溶かしてもらうことである。大枚15万ドルをはたけば、液体窒素の温度である摂氏マイナス196度で冷凍してもらえる。頭部だけならこの半額―と聞くと気色悪いだろうが、人体冷凍術は、記憶やアイデンティティが脳に保存される仮定しているため、これは理にかなっている。将来的には、脳をぴちぴちの体に移植することが可能になるにちがいない。

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2011.06.02

月にある地震

地球以外で、唯一地震が観測されたのは月である。「アポロ計画」で1969年から1972年にかけて月に設置された地震計が、1977年まで観測を行った。月の地震は、断層や活断層を震源とする地震だった。

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2011.06.01

人は唖然とするほどモノであり、同時にたんなる物体ではない

見渡すかぎり、やはりジャコメッリの写真や夢のように、景色は白々とそして暗々と脱色され、森閑として音を消されている。友人たちは腰をかがめ、ひとつまたひとつと屍体をみてあるいた。なんにちもなんにちも。ひとのおおくはたんに部位にすぎなかったから、ひとりまたひとりではなく、ひとつまたひとつと覗くのだ。しかし、ひとつの部位はひとつの浜に、かつてそれと一体であったべつの部位はとおくはなれたべつの港にながされていたりして、それぞれの意味と関係性をあかすものはなにもないのだった。部位はただ個別の、さりとて自立もしていないモノなのであり、全体から断たれた部位もしくは欠損したものというそれなりの自己主張や寂莫感さえもはやない。よくよくみれば、部位は部位ですらなく、想像をせいぜいたくましくしても、もとは肉片か腸か耳か脚かと、やっと推量できるほどのむなしいものであったのだし、疲れきったかれらにはどだい想像をたくましくする余力もなかった。母はどれか、父はどれか。伏せた遺体をめくりかえしてみもしたのだが、しっかり正視したかどうかはうたがわしい。こころのうらでは、父や母や兄弟姉妹でないことをねがいもしていたというから。疲れきって、じぶんがなにをしているのか、ほんとうはなにを乞うているのかもわからなくなった。いっさいが整合しない。地震と津波はわたしたちの記憶の中枢を壊したから、事実と想い出とそれらをあかすことどもがすべてばらばらになったのだ。

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