ニホンorニッポン
むかしから不思議に思ってた。なんで日本人を「大和民族」と呼んだのだろう。
解けてみればお恥ずかしい。いままでなんでこんな簡単なことに気づかなかかったのか・・・・・・と。喜田貞吉(1871~1939)は、アイヌ・蝦夷・被差別部落研究の先駆者であり、彼の「国号の由来」考には、こうある。
<昭和9年の第65回帝国会議において、頭山満ほか数名を以て、国号制定に関する請願なるものが提出された。我が国は大日本帝国なのか日本国なのか、・・・・・・ニッポンと云い、或いはニホンと云い、外国人はジャパンとも、ヤポンなどとも云っているが、・・・・・・正確なる呼称を定められたいと言う>
喜田の考え方はこうである―神武天皇が大和平野を平定して国の基(もとい)をここに定めて大をなすに至ったのであるから、自然とヤマトの名が定まった。ヤマトは地形から出た語で、山に囲まれた広い平野部の間に大きな川が流れ通路となるような土地を指す。古代日本のどこにでもあった地名だ。しかしこれは口称で、まだ文字がなかった。
一方、古代中国では東方海島の住民を「倭人」と呼んだ―いわゆる「漢委奴国王」の金印のはなしである。「委」は「倭人」の略だ。
<もっとも『倭』の字を以て大和朝廷に当つることは、朝鮮において用い始めた・・・・・・。百済人、支那人等は・・・我が大和朝廷の御事を『大倭』と書く。・・・・・・これを同音の『和』の字に代えたのは奈良朝の末で、けだし好き意味の文字に取り替えたに他ならぬ>
つまり大倭(だいわ)→大和(たいわ)になり、それがオオヤマト→ヤマトの"当て字"となったってワケよ。
では、なぜそのヤマトを「日本」と呼ぶのか!? <我が国を日の本と称することは、つとに百済人らの間に始まり、我が国では、それをヤマトの枕言葉として、『日の本のヤマト』なる熟語が用いられるように至った>とある。
ドーダイ、「日本」は百済人の発想だ―これに、あの2001年末の平成天皇の御誕生日のお言葉「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だと『續日本紀』に記されていることに韓国とのゆかしさを感じます」をオーバーラップさせてごらん。ピタリ一致する。
喜田貞吉によれば、「日出処(ひいずるところ)の日本は、中華帝国から見て太陽の昇る東方を意味する地理的なもの。日出処は、したがってもともと「朝」の国=朝鮮を指した言葉だった。百済人は、日出処の朝鮮よりももっと東方に位置するヤマトだから「日の本(ひのもと)のヤマト」と言ったのだ。逆に言えば、「日出処」から見ると中華帝国は、夕日が沈む方角にある=「日没処」(ひいるところ)の「暮れ」=「呉」(くれ)の国となる。
とまあ、そんな按配で、「大化改新に際してヤマトに当つるに始めてその枕言葉なる『日本』の文字を以てする」ことになったと言うのでアリマス。したがってそれは「ニホン」ではなく、漢字の発音に最も近い「ニッポン」と呼ぶのが正しいのだそうです。
吉田司『カラスと髑髏』東海教育研究所2011年
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