延べ棒100本
祖父が事件に関わった。もしくは自分が解決したと言っていた事件だ。いずれにしても昭電疑獄事件、下山事件が起きた戦後の昭和23年から24年は、祖父が亜細亜産業に籍を置いていた時期と一致する。
「だけど、それだけじゃ亜細亜産業と下山事件は結びつかないね」
「他にもあるんだよ。ライカビルの四階だったかな、矢板さんだけが使う秘密の部屋みたいのがあってさ。一度、まだ戦時中に、矢板さんがいい物を見せてやるって入れてくれたことがあった。そうしたら床下に、金の延べ棒がぎっしり並んでいたんだ。百本はあったと思う」
百本の金の延べ棒というのはあまりにも荒唐無稽な話のように思えた。だが後に、寿恵子の言葉にはまったく嘘偽りがなかったことが証明されることになる。寿恵子が続けた。
「これは間違いないと思ったのは、二〇年くらい前だったかな。うちの旦那が持ってたんだから週刊文春だと思うけど、週刊誌に下山事件の記事が載っててさ。それを読んでたら、実行犯はライカビルのA産業だと書いてあったのよ。ピンときたね。亜細亜産業だ、って・・・・・・」
確かに昭和二四年七月の事件当時、「ライカビルのA産業」に該当する会社は亜細亜産業しか存在しない。この記事の特定にはかなり手間どったが、後に週刊文春ではなく、「アサヒ芸能」の昭和四八年八月二日号であったことが判明した。実はささいなことだが、これも不思議な点だった。寿恵子の夫、飯島進が買う週刊誌は長年の間、週刊文春に限られていたからだ。なぜその号に限ってアサヒ芸能を買ったのか、飯島に訊いてみたことがある。だが、「そんなはずはない」の一言で一笑に付されてしまった。
柴田哲孝『下山事件』祥伝社2005年
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