その後の人生
'71年の解散後、ボーカルだった沢田研二、ギタリストだった岸部一徳、森本太郎は新たなバンドを結成、途中からタイガースに参加した岸部シローは俳優業などに乗り出した。みなが芸能界に残る決断をする中、ただ一人、瞳みのるだけが本名の「人見豊」に戻って、別の進路を選ぶ。24歳の時のことだった。
かつて学んだ山城高校(京都府)の定時制に4年生として復学。たった1年の受験勉強を経て慶應大学文学部に合格し、卒業後は慶應義塾高校の国語の教師へと就職したのだ。
どうして教師だったのか。瞳が初めて明かす。
「僕はタイガース時代に当時の流行の最先端にいた作家や文化人が集まる『キャンティ』という店に通っていたんでうすが、周りの会話についていけなかった。仕事で大人と話をしていても、自分には教養が足りないと痛感することが多かったんです。正直、芸能界にもウンザリしていたし、タイガースにも限界を感じていた。だから解散する1~2年前くらいから、『本気で勉強したい』と思うようになった。事務所に一度、辞表も出しています。その時はつき返されたけど、将来の学費を稼いでおこうと給料を貯金し始めました」
当時の月給は70万円ほど、辞める時には1000万円ほど貯まっていた。さらに解散コンサートの夜にあったこんな「秘話」を、瞳が教えてくれた。
「実はコンサートを終えたその日の夜に、トラックに荷物を詰め込んで京都に帰ったんです。家に着いたらマスコミがいるんじゃないかと思って裏口からこそっと入りましたが、誰もいない。その時は『やっと戻って来られた』ってホッとした。未練はない。早く高校に入り直して、大学に行って好きなだけ勉強して、研究者になりたかった」
初めて明かす 瞳みのる「30年以上メンバーと会わずに、もくもくと生きてきた僕の人生」『週刊現代2010.12.25』
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