時期がきたら
死に対する恐怖が蔓延していると感じるときがある。
現代医学はもはや、われわれを簡単には死なせてくれなくなったようだ。最近、ある男から聞いたのだが、アメリカ人の平均寿命が110歳をこえる日はそう遠くないという。
「まさに驚異ですな」男はいう。「テクノロジーの勝利ですよ。すごいでしょ?」
なにがすごいものか。困ったことになったものだ。どんな事態が待っているか、よく考えてみるがいい。社会に奉仕したくてもできずに、多くの老人が惰性で空虚な毎日をおくり、自宅や病院で大儀そうに座っているだけなのだ。力づくで長生きさせる理由がどこにある?
だが、その流れをどうやってとめればいいのか、それがわからない。その結果については考えたくもないという人さえ多い。最近、87歳になる友人の父親が心臓病を悪化させ、医師にペースメーカーをつけなければ生きられないといわれた。友人はさんざん悩んだあげく、ようやく父親にその機械をつけさせることにした。父親は死をまぬがれた。しかし、人格はすっかり変ってしまった。手術のショックでおかしくなり、ぼけが進行していたのだ。
時期がきたら、やすらかに死なせるのがいちばんいい。その時期は人によってちがう。100歳をこえても社会の活動的なメンバーでありつづけ、活気のある人もいる。しかし、もはや自分で自分の責任がとれない人を機械的に生かしておこうとするのは残酷でしかない。
死は肉体の、物質的なからだの終焉である。だが、生命力は生きつづけるのだ。老人ばかりではなく、死の床にある若い患者も、時期がきたら、その人らしく死なせてやろうではないか。
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