歯が抜ける時を覚えていますか?
すずちゃんは以前、抜ける寸前だという下の歯の様子を気にしていた。同じくかのこちゃんも、いよいよぐらぐらしてきた下の歯を舌で探りながら、「歯が抜けるときの、あのめりめりってすごい音は何だろうね」
と問いかけた。
「歯が肉から離れる音じゃないかな」
「それであんなすごい音がするかな? 何だか骨が裂けるような音がしない?」
「でも、きっと他の人には聞こえないんだよ」
「そうなのかなあ」
「歯が抜ける寸前の、あの痛いような痒いような感じが本当に苦手」
とすずちゃんはあと少しで抜けるのに最後の一押しが怖くてできない、と我が身の勇気のなさを訴えた。
「お母さんが歯に糸をくくりつけて、ドアノブに結んで、一気にドアを閉めたらすぐ抜けるって言ったよ」
冗談に聞こえなかったのか、すずちゃんの顔が急にこわばるのに気づいて、
「歯が抜けたあとに舌を突っこむと、深い穴が空いていてびっくりするよね」
とかのこちゃんは慌てて言葉を接いだ。
「でも、新しい歯がその奥に少し出ているとうれしい」
と相変わらず、唇の向こうで舌をもごもごさせながらすずちゃんはうなずいた。
万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』ちくまプリマー新書2010年
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