リンボという場所
私の付き合った人のおおかたはなくなった。あまり人とつきあいわずに、部屋にこもっていると、古代キリスト教の神学に出てくるリンボに自分がすわっているように感じる。
キリスト教信者にならないと地獄におちる。「では、キリスト教があらわれるまでに生きてきた人はどうなるのですか」
この質問に古代キリスト教の宣教師は、こまったにちがいない。「そういう時代にも、正しい人はいたと思うのですが」
そこでリンボという場所を考えた。
キリスト教徒として幼児洗礼を受けないうちに死んでしまった赤ん坊はどうなるのか。
その子たちも、リンボに入る。
もっと時代が降って中世も末期になると、パラセルサスは別の矛盾に気がつく。文字通りキリスト教を信じる人は天国に入れない。なぜなら、善い行いをすると、その人はそれによって自分が天国に行く可能性を高めるが、そうなると、善い行いをすることは天国に行くための功利的な行いと区別できない行為になってしまう。意識を通さない偶然の善行だけが、その人に開かれた天国への道である。
鶴見俊輔/一月一話 対話をかわす場所『図書2009・10』岩波書店
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