傷の暗黒時代
これが動物ならどうするか。舌が届く範囲なら傷を舐めるだろう。舌で舐めれば痛みが止まることを本能的に知っているからだ。なぜ舐めると痛みが止まるかといえば、「傷は乾くと痛くなり、空気に触れないようにすると痛みが和らぐ」からだ。
だから原初の猿人も最初は傷を舐めようとしたはずだ。ところが幸か不幸か、ヒトが自分の舌で舐められる範囲は広くない。よほど体が柔らかくなければ自分の足の指を舐めることさえ難しい。しかし、手なら自分の体のどこにでも届く。このような理由から、人類では傷の「手当て」が始まったのだろう。
手当ては非常に有効な治療法だが、困ったことがある。足の傷を押さえたままでは走れないことだ。しかしうずくまったままでは自分が猛獣の餌になってしまう。だから手の代用品が必要になる。
そこでそこらに生えている葉っぱや木の葉をむしりとって傷に当ててみる。ツルか何かで縛れば手で押さえなくていいことに気がつく。これが最初のドレッシング材(創傷の被覆材料)であり、包帯の誕生だ。要するに「手当てに使う手の代用品」である。
そのうち、傷に貼ると血が止まる葉っぱや、痛みを抑える葉っぱ、あるいは傷が早く治る葉っぱが見つかる。最初の傷の治療薬だ。
やがてヒトは、植物以外のものでも傷の治療に効果があるものがあるのではないかと考えるようになり、色々なものが試されるようになる。記録に残っているもので一番古いのが、紀元前二五世紀のハチミツと樹脂であり、紀元前一七世紀のエジプトではカエルの皮膚が使われ、古代メソポタミアでは粘土を利用したことが書き記されている。
紀元前八世紀のギリシャ時代にはぶどう酒と緑青(銅の錆)、羊毛、油脂の混合液が使われ、以後、ハーブ、動物や鳥の糞、泥、鉱物、クモの巣、沸騰した油など、ありとあらゆるものが治療に使われるようになる。紀元二世紀の「医学の祖」ガレノス(AD一三〇頃~二〇〇頃)がそれらの治療を集大成した膨大な医学書を書き、以降、実に一六世紀まで、そこに書かれている方法が行なわれていた。
もちろん、今日的な目から見ればとんでもない治療ばかりだが、藁にもすがる思いの患者からすれば、多少でも効果があればありがたいものだったのである。
こうして一六世紀までは「銃で撃たれた傷は沸騰した油を注いで治療する」という拷問のような治療が普通だったのだが、それに異を唱えたのがパラケルスス(一四九三~一五四一)だった。彼は沸騰した油でなく、卵白とバラの油とテレピン油(松の木の油)の混合物で銃創を覆うと痛みがなくなり、炎症を生じないことを発見している。まさに本書で説明している「湿潤治療」と同じ原理なのだが、その治療は受け継がれなかったようだ。
この時代にはもちろん、傷が赤くなって腫れ、やがて膿が出る現象は「化膿」と呼ばれていて、皆が知っている症状だった。しかし、現象としてはわかっているのだが、肝腎の原因がわからない。しかも、「赤くなって腫れる」状態はいろいろな場合に起こり、それが「化膿」と同じなのかどうかもわかっていないので、治療のしようがないのだ。これは、「腹痛」といっても十二指腸穿孔による腹膜炎の腹痛と腎臓結石による痛みでは治療法が全く異なっているのに、その区別が付かないようなものだ。
当時の「傷の治療」はこのような状況で、誰もが原因を知らずに治療法を模索していたのだ。まさに暗黒時代だった。
夏井睦『傷はぜったい消毒するな』光文社新書2009年
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