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2008.11.14

テレビは「ながら視聴」メディア

テレビはプリペイドカードで自由に見られたがバカ番組のあまりの多さにあきれて(〇七年の年末であるから、あっちでもこっちでも、コジマヨシオなる人物の『そんなのカンケーねえ』のオンパレードだったせいもある)、ニュース以外ほとんど見なかった。はじめは、あまりのバカ番組、バカタレントの氾濫に、ついに大宅壮一の『一億総白痴』の時代が現実になってしまったなと嘆いたが、そのうちそうではないのかもしれないと思うようになった。

 これは大学で若い学生たちと日常的に接している人以外あまり気づいていないことかもしれないが、実は最近、大学生のテレビ視聴時間が激減している。先進的な学生ほどそうだ。大学生が新聞を読まなくなったのは、だいぶ前からだが、最近はテレビも見なくなってきたのだ。マスメディアで評判になっていることを知らない(関心がない)というわけではない。そういうことも断片的な情報としては知っている。しかし、メディアにズブ漬けになってまでそういうものを見たいとは思わないのだ。一、二回、ほんのちょっとだけコンピュータのモニターの片すみでそれを確認したらそれで充分なのだ。あとはすぐ全くちがうものに関心をふり向けている。彼らにとって、テレビはもはやコンピュータをやりながらの「ながら視聴」メディアになってしまっている。個人個人のメディア体験はどんどん断片化し、多様化しつつあるのだ。
 マスメディアの動向を見ていれば社会の動きは何でもわかるというような、二十世紀的大衆社会状況は急速に変貌しつつある。最近さまざまな意味で、日本社会の二極分解化がいわれだして久しいが、マスメディアの世界でもそれが急速に進行しつつあるということだ。テレビのバカ番組に次から次にチャンネルを合わせることで満足する「操作される大衆」と、むしろ、「大衆を操作する側に立とうとする(すでに立っている。これから立ちたい。操作者と被操作者を俯瞰する立場に立ちたい、などなど)人々」の間で二極分解だ。

立花隆/僕はがんを手術した『文藝春秋2008・5』

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