体臭を超えて
板橋 死臭というのは何日くらいからしてくるのですか。
塩沼 入堂して三日目ぐらいでしょうか。ちょうど三日目、四日目ぐらいから、私の脇についていた助法の方が死臭がしたということを後で教えてくださいましたけれども、おそらく生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだと思います。
四日目でしたか、助法の方が私の名前を呼ぶんですね。「阿闍梨さん、阿闍梨さん」と。真剣な目で「大丈夫ですか」と言われた。私は何ということなくご真言を唱えているつもりだったんですけれども、私の周りに集まって、私の名前を呼ぶわけです。
そのときは、何でみんなこんなに私の名前を真剣に、血相を変えて呼ぶんだろうと思いました。真言をずっと唱えて大丈夫だよということを示していたんですけれども、行が終わった後で聞いたら、私はぼーっとしていたと言うんですね。目は開いていて、真言は唱えているけれども、意識がなかったと言うんですね。
そういうときは必ずあるからということは、言い伝えで聞いていたんですけれども、実際に私の意識がどこか別のところへ完全に飛んで行っていた状態だったと思うんです。そのときにみんなが私の名前を呼んで、私を戻してくれたわけです。
自分ではわからないので、何でみんなこんなに騒いでいるんだろうという程度で、行にはずっと集中して入っていたんですけれども。実際に行をしていると不思議なことがたくさんございます。
目の前で、線香を九日間絶やさないのですけれども、その線香がずっと燃えていったときに、折れて下にくだける瞬間がスローモーションのようになって、灰のところに落ちるのが見える。落ちたときにドーンという音が、普段は聞こえないのですけれども、聞こえるんですね。
板橋 線香の燃えた灰が落ちたわけですね。その音がわかるんですか。
塩沼 ええ。聴覚もそうなんですけれども、嗅覚も非常に研ぎ澄まされてきます。私がずっと修法しているところと、助法の方がいるところには、逆さ屏風を立てて九日間を過ごすのですが、その奥に扉があって、扉をガラガラガラ、「失礼します」という声を出さないで入ってくるのですけれども、戸を開けた瞬間に、その人の匂いがするんですね。
姿は見えないんです。だいぶ離れているんですけれども、その人の匂いが、その人の体臭がわかる。自分が死臭を放っているにもかかわらず・・・・・・。自分の死臭はわからないのですけれども、人の匂いはわかる。そのように神経が研ぎ澄まされることを覚えました。
塩沼亮潤×板橋興宗『大峯千日回峰行 修験道の荒行』春秋社2007年
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