エコノミー症候群日本人第1号?
中国の生活経験者でも救急車で運ばれた人は少ないかと思いますが、筆者はその一人です。今回は筆者が経験した広東省広州市にあるC大学病院での体験を皆様にご報告いたします。
1993年9月16日の深夜、北京市のホテルの部屋で突然胸が苦しくなり目覚めました。翌朝は、広州市で重要な仕事の打ち合わせがありましたので、そのまま機中の人となったのですが、痛みは激しさを増し、その激痛に耐える為に口に咥えたハンケチが血だらけになるくらいで、これが「最期」と覚悟してパスポートの余白に遺言を書きました。広州空港に到着後に少しは仕事をこなしたのですが、胸痛に耐え切れずに病院に運ばれました。
そこでは、まずは現金が必要です。血液検査が終わったら治療費を事前に払って次の検査、そしてお金、そして次へと進みます。知人が一生懸命「大至急」と説明しても馬耳東風です。廊下の両側は治療を受けられない病人で溢れていました。長時間待たされた末、痛止め注射を臀部に受けたのですが、さすがは鍼灸の国、大きな注射針がいつ臀部に打たれたのか分からないくらいの見事さでした。点滴が開始されましたが、それは直径3cm長さ30cm程の巨大な注射器による点滴です。その看護婦は同僚と話ながら点滴をするので、時々血液が逆流します。知人が注意をしても「??」です。そして、病名は「胸膜炎」と診断され、医者からは「今から入院すべき」と言われたのですが、こんな汚い病院で死にたくないと考えた私は、隣の香港を「死に場所」に選び広州空港から英国領香港に向かいました。
当時は、日本から広州への直行便がなかったので、せめて自分の遺体は遺族が簡単に引き取れるようにと考えたのです。一日で3㎏痩せました。香港のホテルドクターは「病気の原因は不明だが、中国で受け取った薬の服用は中止するように」と私に厳命いたしました。そして、なんとか無事に帰国して入院しても体調が芳しくありません。退院三ヵ月後に判明したその病名は「右脚大静脈血栓による肺塞栓症」、最近では「エコノミー症候群」と呼ばれているものです。
岩谷泰幸『そんな中国、こんなチャイナ、そして日本』文頂2005年
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