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2007.04.01

完全な健康などは幻想

人間は本来、百パーセント健康ではありえない。オギャアと生まれたときから、「死」という病のキャリアである。

 私の考えでは、人間は誕生したときから病気なのだ。そして常に変化する体調を抱えながら生きている。
 完全な健康などというのは、幻想にすぎない。人は一日ずつ老いるのであった、突然、あるとき老化が発病するわけではないのである。
 もし、健康という言葉があるとするならば、できるだけ体調をととのえ、それを維持する生活、ということにつきるのではないか。(中略)

 そういう老いのなかで、体調を維持するというのは、どういうことなのか。
 それは、その年齢なりに安定したコンディションを保つ、ということだ。
 青年と同じように、などとは勿論、考えない。若い頃のことを基準にあれこれ判断するから、不安になるのである。
 むかし5分で歩いたところを十分かかって当然なのだ。当然というより、それが自然だろう。
 かつての自分とくらべて、苦笑するのはいいが、自嘲的になるのはよくない。よくないとわかってはいるが、「情けないもんだ」と思うのは自然なことだと納得する。
 あまり積極的に体調を向上させようと努力するのも、考えものである。アンチ・エイジングなどと元気のいいかけ声もあるが、アンチなどと言っても、無理なものは無理である。
 そこで、せいぜい体調をそこそこ維持することを考える。その方法は千差万別、その人その人によってちがう。Aの人に有効だからといって、Bにも役立つということはない。そこは自分で判断してきめることだ。年をとる楽しみの一つは、それを発見して、手応えを感じることである。
 その年なりに、いろんな楽しみがある。年をとるというのは、悪くないものだと、最近つくづくそう思うようになってきた。

五木寛之/新・風に吹かれて 年をとることのおもしろさ『週刊現代2007.3.31』

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