心臓マッサージ止め
あるとき、四十二歳の男性が心停止状態になって救命救急センターに運ばれてきました。その状態になってから十五分後と、比較的早い段階でしたので心肺蘇生術を試みましたが、二十分間続けてもまったく反応がありません。これはもはや回復の可能性がない、つまりご臨終であることを家族に告げざるをえませんでした。
ところが、その男性の娘さんは父親の死を頑として受け入れないのです。
「先生! お父さんを治して! どんなことをしてでもお父さんを元に戻して!」
絶叫する娘さんの気持ちが私を動かしました。心ひそかに長い間検討を続けてきた、しかしあまりの奇想天外さにとても実行には移せなかった手法を使う勇気をもたらしたのです。
私はスタッフに指示を飛ばしました。
「心臓マッサージをやめなさい!」
懸命にマッサージを続けていたスタッフの面々は唖然とし、ある若いスタッフは私の頭がおかしくなったと思ったのか、おそるおそる聞いてきました。
「先生、マッサージをやめたら本当に死んでしまいます」
私は答えました。
「いや、死にかけている心臓に無理に働けといっても、よけい死に向かうだけだ。それよりいまは心臓を休ませるべきだ」
そして、ことさらに大声をあげて次の指示を飛ばしました。
「三分以内に体外ペースメーカー装着! バルーンポンピングを使った体外循環確保を十分以内に開始!」
私の手術戦略は、心臓を動かして患者を回復させるという最終的な目的と、それを達成するための目標を切り離して考えることにありました。心拍再開にとらわれずに、脳や体に酸素の豊富な血液を行き渡らせて手術を可能にすることに目標を置いたのです。
スタッフたちはやがて私の意図を理解し、現場は活気づきました。目的の困難さに思考停止していたのが、実現可能な目標が設定されたことでそこに集中できるようになったのです。みずから鍛え上げてきた医療軍団に私は自身と誇りを感じました。
心臓を休ませながらなんとか生命を維持した私たちは、心臓が止まった原因である冠状動脈閉塞部に足の付け根の血管からカテーテルを通してバルーン法で血液を再開通させ、その後、脳低温療法で勝負をかけました。その後も紆余曲折はありましたが、運び込まれてから三日目、男性の心臓はついに動きはじめたのです。
林成之『<勝負脳>の鍛え方』講談社現代新書2006年
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