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2006.05.30

サルトル曰く、20世紀で最も完璧な人間だった男

1967年10月9日、ボリビア国軍によってイゲラ村で銃殺されたチェ・ゲバラの遺体は、そこから約60キロ離れた赤土の中に仲間6人と共に埋められた。その後、97年6月28日に遺体が発掘されるまで、じつに30年近くにわたってその場所は秘密のままだった。ゲバラに最後の食事を運んだ元教師フリア・コルテス(57)が語る、ゲバラの最後の言葉とは。

 ボリビア共和国サンタクルス県バージェ・グランデ。人口8000人のアンデス山間の町で、ゲバラに最後の食事を運んだ元教師、フリア・コルテスと会った。フリアは私と同い齢だった。ゲバラが死んだ38年前、彼女も私も同じ19歳だったというわけだ。当時はイゲラ村に住んでいたフリアは、若き日の、生涯忘れられない2日間の出来事について語り始めた。
「私は、チェらしき人物が兵士に両脇を抱きかかえられて村に着くのを見ました。翌朝になって村の学校に行くと、警備していた兵士が"中の男を見に来たのか?"と訊きました。私が頷くと、"じゃ、入りなさい"と言って、扉を開けてくれました。若い兵士で、私の気を惹きたかったのかもしれません。
 教室の中は一本の蝋燭が灯されているだけで暗く、チェがどこにいるのかすぐには分かりませんでしたが。目を凝らして見ると、木製のベンチに一人の男が座っていました。私がジッと見つめると、彼が、"先生、おはよう"と言いました。私はびっくりしました。まさか彼が、そんな風に話しかけてくるとは思ってもいませんでしたから。"どうして私のことが教師だとわかったのですか?"と訊くと、彼は、"直感だよ"と答えました。その時に、この人がチェ・ゲバラなんだということが私もはっきりわかったのです」
 フリアの喋り方は力強く簡潔で確信に満ちていた。40年近く前の出来事を、今でも、そのディテールまで覚えているらしい。
「チェは私には優しかったですが、兵士たちを見る目は恐いほど威圧的でした。負傷して捕らえられ、空腹で疲れ果てていたと思います。にも拘らず、チェは自分の意志で兵士たちを威圧し、支配しようとしていました。彼は、信じられないくらい強靭な精神の持ち主だったと思います。
 チェが、黒板に書いてある字を指差して、こう言いました。あそこに書いてある、Angulos(アングロス=アングル)という単語の書き方が間違っているよ。Aにアクセント記号がついてないじゃないか"って。私は、スペイン語の文法では、Aが大文字で書かれる場合にはアクセント記号をつける必要はないと反論しました。でも彼は、"Aが大文字でもアクセント記号はつけなければいけない"と頑固に言い張りました。"君は先生なんだから、子供たちには正しいスペイン語を教えないと駄目だよ"とも言っていました。チェは、、もうすぐ自分が殺されることを知っていたと思います。そんな状況にありながら、正しいスペイン語の表記の仕方について、子供たちへの言葉の教え方について真剣に話すのです。
 軍隊や政府は、チェたちが極悪非道の山賊のような男たちで、盗んだり殺したり強姦したりするという噂を散々流していました。でも、私にはすぐ分かりました。チェは極悪人でも泥棒でも強姦魔でもなく、とても美しい、高貴な精神の持ち主であることを」
 その後で将校たちが部屋に入ってき、何か欲しいものはないかとゲバラに訊いた。この時、ゲバラは、自分が殺されることを確信したようだとフリアは言う。何か食べるものが欲しいとゲバラが言い、フリアが一度家に帰ってスープを持ってくることになった。母親がつくった、ピーナツのスープだった。
「スープを持って教室に戻ると、チェは縛られた両手で皿とスプーンを礼儀正しく受け取りました。硬くなって突っ立っている私に、"恐がらなくていいよ。私が食べるのは君じゃなくて、スープなんだから"と言い、少し笑いました。両手を縛られて不自由そうでしたが、それでもチェはスプーンで器用にスープを啜り、おいしそうに飲み乾しました。私が覗き込んでいると、"とても美味しかったよ。こんなにちゃんとしたものをお腹に入れたのは、本当に久し振りだ"と言いました。それから、こうも言ったのです。"君のような娘が、こんな山の中でくすぶっていちゃ駄目だ。君は、もっと向上心を持つべきだ。もっと広い世界を見なさい"って。私は、ここを離れることはできないし、この土地の人たちが好きだからここで仕事を続けるつもりですと答えました。私は逆に、あなたのように頭のいい、何不足のない暮らしのできる人が、どうしてこんな所で、こんなことをしているのですか?と訊きました」
「彼は、なんと答えました?」
「私を見て少し考えました。19歳の娘に、どう言ったら分かるだろうと考えているようでした。そして、噛み砕くようにゆっくり言いました。"理想を実現するためだよ。私は、貧しい人々がより人間的な暮らしができるような社会の実現のために闘ってきたんだ。私は、自分の信念に殉ずるつもりだ。覚悟はとっくにできている。今は分からないかもしれないが、将来、きっと理解してもらえる日が来ると信じている"・・・・・・その時の私には、チェの言っていることの意味がきちんとは理解できませんでした。でも、大変なことを言っているらしいことだけは分かったので、それ以上は何も言えなくなってしまいました」
 その後フリアは家に帰り、母親と一緒に昼食を食べた。機関銃の連射音が学校の方から聞こえたのは、その時だった。アリアは急いで学校に戻ったが、ゲバラはすでに床に伏していた。目を見開いたまま床に倒れているゲバラが、イエス・キリストのように見えたとフリアは言った。

戸井十月/ラテンアメリカから吹く熱風vol.1チェ・ゲバラの遺言『週刊朝日2006.6.9』

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