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2006.04.06

杉田玄白往診記録

甲野 たしかに江戸期の場合は、身体というのは心のかげになっていて見えにくいんですけれど、当時の人というのは、じつはいまのわれわれなんか及びもつかないくらい身体を使っていたんですね。武術の技にしたって、いわゆる名人、達人の術というのも、まず徹底的に身体を使うことからはいっていく。なんでも身体を通して覚えていきますから。

養老 まったくそうだと思います。昔の状態に戻れないものだから、はっきりわからないですけれども、昔の人のほうが、たしかに身体は使わざるをえなかったわけですね。朝起きてから、ともかく徹底的に身体を使っているわけだから、どっちかというと考え方が唯心的になっていって、それほど矛盾はなかったんだと思うんですね。
甲野 われわれだったらここに来るのに、何時何分の電車に乗ってこうしてああしてというぐあいに、ますます肉体を使わなくなってきて、何キロも歩くなんて日常生活では考えれません。でも、昔は歩くということのたいへんさというものが、やっぱりいまの人間と、ただ体力的にというよりも、心理的にずいぶんちがっていたと思うんですね。それが当然というか、彼らはそれほど身体を意識しなかったのではないかと思うんです。身体感覚のレベルがわれわれとちがっていたというか・・・・・・。
養老 いや、僕もよく考えるんですけれどもね、昔の江戸の人って、ものすごく歩いているんですね。杉田玄白なんか往診の記録が残っているんですけれども、あれは下町に住んでいて、日本橋あたりを行ったり来たりして往診しているんです。カゴに乗ることもあったでしょうけど、ともかくタクシーがないことを考えると、相当な距離を一日で歩いています。ちょっと人に会いに行くんだって長い距離歩かなきゃならないわけで、そういう意味ではいまよりもずっと、たしかに身体を使っているんですね。

養老孟司×甲野善紀『古武術の発見 日本人にとって「身体」とは何か』光文社2003年

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