ロシア・イスラエル関係
専門家以外の人にとって、イスラエルとロシアが特別な関係にあることはなかなかピンとこないにちがいない。その意味で、ワイドショーや週刊誌の報道が「ロシアとは無関係なイスラエルの学会に行ったのはけしからん、本当の目的は観光旅行だったのだろう」という内容になるのも仕方のないことだった。ユダヤ人問題に興味を持たない人々にとってはなかなか理解しづらいことなのだ。そこで、まず、ロシア・イスラエル関係についての説明から始めることにする。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにより六百万人のユダヤ人が殺された。アウシュビッツ収容所の悲劇については誰もが知っている。戦後、多くのユダヤ人がこの悲劇を繰り返さないためには、ユダヤ人国家を再建することが不可欠だと考えた。既に十九世紀から、エルサレムのシオンの丘に帰って、もう一度ユダヤ人国家を作ろうという運動が始まっていた。これがシオニズムで、イスラエルの建国理念になった。
シオニズムには、ナショナリズムの理念と共に社会主義思想が含まれている。シオニズムの提唱者の一人であったドイツ系ユダヤ人モーゼス・へスは、カール・マルクスの盟友だった。
マルクス主義が形成される過程で画期的意味をもったのが「ドイツ・イデオロギー」(一八四五-四六年)であるということについては、専門家の見解が一致しているが、この共同執筆者にマルクスとその盟友フリードリッヒ・エンゲルスだけでなくヘスが含まれていたことは案外知られていない。
十九世紀半ば、ドイツ知識人の小さなサークルで始まった思想運動は、一つはマルクス主義になって、ソ連、東欧、中国の社会主義諸国を生み出し、もう一つが後期モーゼス・へスを経由してシオニズムとなり、イスラエル建国につながったと見ることも可能なのである。そして、ソ連型社会主義という歴史の実験は破産したが、イスラエル国家は唯一の超大国アメリカにも影響を与える国際政治で無視できない独自の地位を占めることになった。
一九四八年にイスラエルが建国されたが、それを世界で最初に承認したのがスターリンのソ連だった。もちろんソ連はシオニズムに共感をもってイスラエルを承認したのではなく、当時、反帝国主義・反植民地主義の観点から、イギリスからイスラエルが独立することを支援したにすぎない。その後、いくつかの偶然が重なって、冷戦体制の成立とともに、イスラエルはアメリカ陣営に、エジプト、シリア、リビアなどの一部アラブ諸国がソ連陣営に加わった。六七年に勃発した第三次中東戦争(六日戦争)の後、ソ連はイスラエルと国交を断絶。国交が回復するのは九一年である。
国交断絶後、ソ連に存在するユダヤ人のイスラエルへの出国は事実上不可能になった。しかし、不可能を可能にする不屈の精神をイスラエル人はもっている。ソ連全国にユダヤ人の秘密ネットワークを作り、ユダヤ人の出国を支援するとともにソ連政府のユダヤ人に対する抑圧政策を改めるようにとのロビー活動を展開し、東西冷戦期にユダヤ人問題は米ソ関係の最重要課題として取り上げられるまでになった。ソ連は、政権に忠誠を誓うユダヤ人を集め、「反シオニスト委員会」を作るが、イスラエル政府の秘密工作を切り崩すことはできなかった。
その結果、八八年頃からソ連在住ユダヤ人の出国が緩和された。当時、ソ連に大使館などを持たなかったイスラエルの利益代表をオランダが行っていた。在モスクワのオランダ大使館は日本大使館と同じカラシュヌィ通りにあり、徒歩二分の距離だった。
八八年夏に私はモスクワ大使館で勤務を始めたが、朝早くからオランダ大使館に百人を超える人々が行列を作りイスラエルへの出国査証を求めた。その行列は、マイナス二十度を超える極寒の中でも短くなることはなかった。カラシュヌィ通りに面したビルの壁には、ノートの切れ端に「住宅売りたし、家財道具売りたし乞連絡」と電話番号を記した自家製広告がたくさん糊で貼られていたのをよく覚えている。
九一年十二月、ソ連が崩壊し、新生ロシアは反イスラエル政策を根本から改めた。イスラエルは中東で自由、民主主義、市場経済という基本的価値を共有する友好国になった。一方、ロシアは、リビア、シリアなどに軍事援助、経済援助をする余裕がなくなったので、これら諸国との関係は冷え込んだ。
八〇年代末から二〇〇〇年までに旧ソ連諸国からイスラエルに移住した人々は「新移民」と呼ばれ、その数は百万人を超えた。イスラエルの人口は六百万人であるが、その内、アラブ系が百万人なので、ユダヤ人の内二〇パーセントがロシア系の人々である。
これまでイスラエルに移住したユダヤ人は、出身地がドイツであれ、ポーランドであれ、モロッコであれ、ヘブライ語を習得し、急速にイスラエル文化に同化したが、「新移民」は、ロシア語やロシア文化を維持した。イスラエルではロシア語の日刊紙が発行され、衛星放送でロシアの主要テレビ番組が放映されている。ヘブライ語のニュース番組にロシア語の字幕がつくこともある。いまや「新移民」は政治勢力としても無視できない存在となっている。シャロン現首相は少し訛りはあるがロシア語ができるので、選挙に際してはロシア語で演説をして「新移民」の支持を得るように腐心したほどだ。
「新移民」は、ロシアに住んでいたときはユダヤ人としてのアイデンティティーを強くもち、リスクを冒してイスラエルに移住したのだが、イスラエルではかえってロシア人としてのアイデンティティーを確認するという複合アイデンティティーをもっている。
ロシアでは伝統的に大学、科学アカデミーなどの学者、ジャーナリスト、作家にはユダヤ人が多かったが、ソ連崩壊後は経済界、政界にもユダヤ人が多く進出した。これらのユダヤ人とイスラエルの「新移民」は緊密な関係をもっている。ロシアのビジネスマン、政治家が、モスクワでは人目があるので、機微な話はテルアビブに来て行うこともめずらしくない。そのため、情報専門の間では、イスラエルはロシア情報を得るのに絶好の場なのである。しかし、これまで日本政府関係者で、イスラエルのもつロシア情報に目をつけた人はいなかった。
佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』新潮社2005年
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