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2005.11.08

そして誰もいなくなった

テープ、CDやDVDのおかげでヒトが"あの世"へ行ってしまったあとでも、その懐かしい姿や声を楽しむのが当たり前になった。

 当たり前やけれど、考えると少し不気味なところもある。特に公開録音・録画の場合にそれがいえる。なぜなら出演者(今回は枝雀さんですが)だけがこの世を去ったのではなく、客席でメチャ受けしているファンの中にも、すでに三途の川を渡ってしまっている方がきっとおられるから。月日が経つにつれて笑っていたお客も老けて行くし、(言うたら何やけど)いつかは当時の観客が消滅するという時代が確実に来ますね。これは自然現象だから仕方がないが、笑い声までが幽霊だというCDは、やっぱり不気味やという気がします。

 あの世へ行った枝雀さんの行き先ですが、天国でも地獄でもないと思う。落語や自分の勉強を通じて両方のイメージをつかんでいたはずだから、窮屈な約束ごとのある場所よりも、自由自在に選べる、彼なりの"あの世"を見つけた、或いは拵えたに違いない。それぐらいのことをやる変わったヒトです。で、そこでの遊びというのは、もちろん落語に決まっている。おでこに"落語いのち"という刺青があってもおかしくないほど自分の仕事に没頭し、惚れ込んでいた訳なんだから。

 それにしても、時間の制限や人間国宝の師匠の注意もなく、エンドレスに開かれている夢の独演会は、いったい誰を相手に行われているのかしら? 私の想像ですが、あらゆるテープやCDに笑い声を残してあの世へ行ったファンのみなさんやと思います。『枝雀あの世』が出来たと聞けば、天国や地獄からそちらへ移りたい、と希望者が殺到しただろうし、これから行く人の中にも迷わずそちらを選ぶ人数が多いでしょう。枝雀さんが変わった人やと言いましたが、"この噺家にこのお客あり"ということも言えますわ。

 さらに気になるのは、『枝雀あの世』の場所、つまり、所在地ですね。いろいろ思い返した結果、あれは多分、こちらから見ると月の向こう側でやってはる、という結論に達した。なんで? という説明がややこしいけれど、ま、こういうことです。

 以前にABCホールで公開録画をしていた『枝雀寄席』の中に、枝雀さんとお喋りする『ほのぼのトーク』というコーナーがあった。ある時、月のことが話題になったので私の姪が書いた文章のことを話した。彼女によると、月というのは地球とともに宇宙を旅している物体ではなく、むしろ地球の天上である夜空に開いている天窓のようなもの。つまり、月がカタマリではなく、アナなのだ。そして、それが何のために開いているのかというと、天井裏にいる"彼ら"が下界の我々をこっそり観察するための覗き穴だという。枝雀さんは眼を丸くして「うわっはァー、"彼ら"かァ、"夜空の覗き穴"かァ。いいなァ、その発想」と、姪の話をえらく気にいってくれたという訳で、ひょっとしたら『枝雀あの世』の場所をその覗き穴の向こうに決めたかもしれませんね。

 もしそうであれば、暗くて何も見えない新月の間は、彼が天窓を閉めて落語に熱中している時に当たるのでしょう。とはいえ、定期的に、一門の活躍と成長ぶりや愛しい嫁はんと子供たちの様子も気になるから、窓を少しずつ開けながら下界に目を向けることもあるだろう。月に一回、顔を覗き穴いっぱいに当てて、まともにこちらを見てくれるのは、やはり、満月の夜。とても眩しいから分かりにくいと思うが、瞳をこらすと目鼻の位置より少し上のところに"落語いのち"という刺青が微かに見えるはずです。

イーデス・ハンソン『枝雀落語大全第三十九集』

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