主役に躍り出たATP
私たちの手足の筋肉は仕事をします。歩けば体重分を動かしますし、荷物を持ち上げればその分の仕事をします。仕事の時ときには、運動のエネルギーを使うわけです。そのエネルギー源をめぐっては、実に長い間研究がなされました。答えはもちろん、ATPの高エネルギーリン酸結合にほかなりません。しかし、最終的な結論が出たのは一九六二年のことでした。
筋収縮のエネルギー源についてはさまざまな説が、二〇〇年にわたって出されては消えていきました。そのうち有力だったのは、前にも紹介しましたが、一九一九年に提出されたマイヤーホフの乳酸学説です。その根拠は、酸素のない状態で調べると、筋肉中のグリコーゲンからできる乳酸の量と筋肉が発する力とが比例するというものでした。マイヤーホフはこの学説で一九二二年にノーベル生理学医学賞を受賞しました。
この学説に対しては、エムデンのように乳酸生成と力の発生にはずれがあると主張して反対した人もいましたが、マイヤーホフの権威には歯がたちません。学問にも力関係があって、大多数が認めている説に異を唱えるには勇気を必要とし、しかもつぶされる(相手にされない)ことがしばしばです。しかし、結果的には乳酸学説は倒れ、ATPが主役に躍り出ました。
その後、一九七〇年代のはじめまでは、ATPがつくられるミトコンドリア(細胞呼吸をおこなう細胞内の小器官)での呼吸の際に、リン酸を含む何らかの化合物がまずできて、そのリン酸がADPに渡されてATPができると誰もが信じていました。そこにピーター・ミッチェル(一九二〇-一九九二)という学者がそんなものはない、ATPが最初につくられるときには水素イオンの流れのエネルギーが利用されて、ADPと無機リン酸からATPが生成するのだと主張したのです(一九六一年)。はじめはまったく認められなかったのですが、しだいにミッチェル説が受け入れられるようになり、ミッチェルは一九七八年度ノーベル化学賞を受賞しました。さらに、一九九七年度のノーベル化学賞は、ATP生成のしくみを詳しく明らかにした研究者三人に与えられています。
丸山工作『筋肉の謎を追って』岩波書店1998年
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