女のことがちっとも分かっていない
ケイ・スカーペッタには相棒がいる。ピート・マリーノという警部補で、野球のミットのようなごつい手をした五十がらみのタフな男だ。彼女は仕事上では彼を信頼しているが、生理的にあまり好きになれない。彼女は四十そこそこで、一度結婚したことががるが、いまは離婚して独身である。
ある夜、その彼女が犯人から脅迫される。マリーノ警部補は心配し、用心のために家に泊まってやるというのだが、彼女はそれをことわる。おどろいたのは、そのときに彼女の心の動きを示した次の一文だ。
<朝を迎えるだけでもつらいのに、マリーノに泊まられたらどういうことになるだろう。ボクサーショーツに、太鼓腹をぴちぴちのシャツで包んだマリーノが、はだしでバスルームへ向かっているところを想像した。トイレのシートはきっと上げたままだろう>
われわれ男は、トイレに行ってちいさな用を足すとき、フタがしまっていればまずフタをあけて、つぎにシートを上げて用を足すが、終わってもそれを元に戻さないということはしばしばある。一方、女はフタを上げるが、どんなときでもシートは上げない。そして彼女たちは、男が使用したあと、シートが上がったままの状態になっていることが不快らしいのである。
ぼくはこれを読むまでそんなことは考えもしなかった。好きになった女がぼくをどういうふうに思っているかが分からないどころではない。そんなことも知らなかったのである。おそらく分かっているつもりで分かっていないことというのはもっと山のようにあるのだろう。これを読んであらためてそのことを知り、いまではほとんど女を分かるということを放棄しているのである。
海老沢泰久『暗黙のルール』新潮社2000年
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