哺乳動物の象徴音
マ行の音「マ・ミ・ム・メ・モ」は、一般に「唇音labial」とよばれる。唇なしには出てこないからだ。したがってこれは、哺乳動物の象徴音ということにもなる。
ネコの「ミャー」、ヒツジの「メエー」、ウシの「モォー」とともに、人間の赤ん坊の原始の音声が「ンマンマ」であることは万国共通であろう。唇を持たぬ爬虫類では、だから、この唇音にかわるものとして、「口蓋音gutteral」のカ行「カ・キ・ク・ケ・コ」が出てくる。もし中生代の恐竜が発したであろう音声を再現するとなれば、このカ行の音を考えなければならないであろう。今日の鳥たちの啼き声を聞くがいい。かれらは「栄光ある爬虫類」とよばれているのであるから。もちろん哺乳類にも、この口蓋音は、たとえば断末魔の絶叫においてその本性を現すだろう。しかし、この乳を吸う動物たちの日常を彩る象徴的な音声といえば、やはりこの吸乳からでる唇音を措いてほかにはないと思う。このことは、人間のことばの発生を考えるうえにおいても忘れてはなるまい。
「マ」音は、西欧諸国ではmamma(乳房)からmater、maman、・・・・・・(母親)まで、わが国ではご飯の「マンマ」からご馳走の「ウマウマ」まで、それは食に関する根源的な欲求の対象をさすさいに用いられる。(中略)
哺乳動物の口腔粘膜は、こうして二億年の歳月の積み重ねのあいだに母親の味をいのちの底から味わい尽くし、その欲求を種ごとの唇音に托して表現しつづけてきた。そして人類は、この音を一つの軸として、その豊かなこころと、そしてその強烈な自我とをしだいしだいに目ざめさせてきたのではないかと思われる。
三木成夫『胎児の世界』中公新書1983年
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