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2005.01.01

ブラジル移民の功労者

「カフェーパウリスタは、交詢社の真ん前に大正二年(一九一三)にできました。白亜三階建ての洋館で、正面にはブラジルの国旗がひるがえり、夜は金色に輝くイルミネーションがついていた。中に入ると北欧風マントルピースのある広間、大理石のテーブルとロココ調の椅子が並んでいました。ほかのカフェのように女給さんを置かず、給仕はみな美少年で、海軍の士官の白い制服を着ていたんです」

―はあ、斬新な。それをなさった方はどなたです?
「話せば長い話です。創業者を水野龍といいまして、この人は高知の出身ですが、ブラジル移民の父といわれました。石川淳の『蒼茫』を知っておられますか? あの小説は、神戸のTOA ROAD、長い坂という名の通りにある「ブラジル移民神戸移住センター」が舞台です。移民としてブラジルに赴く前に、あそこでポルトガル語などの研修を受ける。長い航海に耐えられるようにと泊まる部屋も移民船のようになっていました。
 その前はハワイやアメリカに移民していましたが、アメリカが排外主義になって移民を受け入れなくなり、新しい天地を求めたんですね。そこで水野龍は明治三十七年(一九〇四)に皇国殖民合資会社と移民会館を設立し、四十一年、笠戸丸という船で、初の移民団長としてブラジルに渡りました。移民には貧しい人、日本にはいられない事情の人が多かったそうです。
 その功を認められ、ブラジル共和国が翌年、サントスコーヒー豆を十年にわたり無償で毎年千俵、水野にくれるってわけです。一俵は六十キロだから六十トンくらいになりますか。それとブラジルコーヒー豆の東洋における一手販売の権利も与えられた。この年を、私どもでは創業年としています。
 豆を買っても、当時、煎り方、挽き方、淹れ方がわからない。どうしたものか。水野龍は先見の明があったのでしょう。それを研究して売ることにしました。いまでこそ日本はアメリカ、ドイツに次ぐコーヒー消費者第三位、フランスを抜いて多いのですが、当時コーヒー飲用の習慣はなかった。博多の『岩田屋百貨店』なんかで試飲販売をしてみたけれど、最初はちっとも売れず、担当者が旅館に帰って泣いたなんて話があります」
―パウリスタというのはどういう意味なんですか。
「それはサンパウロのパウロ。パウロっ子というのがパウリスタ。まあ江戸っ子というようなもんですね。カフェとはブラジルの公用語ポルトガル語でコーヒーのことです。もう一つ、昔はパウリスタ州でとれるコーヒー豆がブラジルのコーヒー生産の九〇%を占めたからです」

森まゆみ『明治・大正を食べ歩く』PHP新書2004年

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