<身体>はわたしの第一の衣服
わたしたちはじぶんの身体を、とにかく断片的にしか経験できません。見える部位、触れる部位、なかからときどき聞こえる音、腹痛や筋肉痛、尿意や鼻づまり、痒みやむかつき・・・。
それらの断片的な知覚データを、「わたしの身体」として一つの身体イメージへとまとめ上げるために、わたしたちはこのようにいろいろ工夫をくわえているのです。多くの布切れから一つの衣服が縫い上げられるように、です。このことをふまえて、E・ルモーヌ=ルッチオーニというフランスの精神分析学者は、<像>としての身体こそ<わたし>が身にまとう第一の衣服だと言っています。
そのとき、衣服というものがとても大きな役割をはたします。衣服は身体の表面に恒常的に刺激をあたえます。そのことで身体の断片的であいまいな輪郭を補強しつづけてくれるわけです。こうしてひとは、衣服という、もう一つの恒常的な皮膚を編みだしたわけです。その意味で、ひとはこれまで衣服のことを《第二の皮膚》と呼んできたのです。
実際、衣服がいったんじぶんの《第二の皮膚》となると、<わたし>の表面はこの衣服の表面に移行します。だから、服のなかというのは<わたし>の外部であるにもかかわらず、他人にそこに手を入れられるとぞっとするのです。人前で服を脱ぐということが、余分な覆いを外すことではなく、皮膚をめくるような、じぶんの存在を削り取るような、はげしい感情の動揺をともなう行為になってしまうのです。
鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』日本放送出版協会1998年
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