女は気ちがい、男は女性になるのが本質
吉本 フロイト以降の考え方というのは、いろんな人に象徴できるけども、たとえばウィルヘルム・ライヒで言えば、もう女の人の六〇パーセントか七〇パーセントはみんな気ちがいなんだという言い方をしますし、ジャック・ラカンは『テレヴィジョン』の中で、女の人はみんな気ちがいだって書いてます。
男っていうのは、少なくとも男女関係の問題で言えば、つまり性の問題で言えば、男ってのは要するに女性になること―本質的なところはそうなんだと、こういうふうに完全に言い切ってますね。西欧的に言うとどうしてもそうなっちゃうと思うんです。西欧的な「子供」を、育児とか、生まれる生まれないからもっと遡って、生まれる前から、胎内におけるところからのことを考えていけば、ラカンみたいな言い方になっていくし、徹底すれば必ずそうなってしまう。女の人はみんな気違いになるのが本質。男のほうは女性になるのが本質と、こういうふうに言い切っちゃうことになりますね。
日本の場合には、慈母型が女性の本質だということになっちゃうんですね。そうすると子供は、「そんな凶悪なことを犯した子供がいるのは、親が悪い、親の育て方が悪い。特に母親が悪いんだ」と、極端に言っちゃうとそこへ行っちゃうんですね。いまの若い女性、フェミニズムの人、女性解放論者からいえば、「とんでもない言い草だ。それじゃあ封建時代以前からのそういう議論をまた復活しようとしてるのと同じじゃないか」って言うけど、それは当たらないんで、育て方の本質からいうと、アジア・オセアニア地区の育て方の典型で言えばどうしてもそうなっちゃう。
吉本隆明×大塚英志『だいたいで、いいじゃない。』文藝春秋2000年
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