« ついこの間通った道 | トップページ | 頭の中の壁 »

2004.12.03

「愛」という言葉、大嫌いなんです

山浦 だいたい日本人でヤソになるのは、はみ出しものなんです(笑)。気仙地方の信者は一〇〇人、これは人口の約〇・一五%です。ほかの地方も似たようなもので、ほぼ一〇〇〇人に一人か二人の割合ですね。

養老 今回、山浦さんの『ケセン語訳新約聖書』を拝見して、そのいちばんの理由は、実は、聖書の訳にあったんじゃないかと。仏教のお経は、わからなくてもありがたいと思っていればいい。でも、キリスト教は、日本に新しく入ってきたものだから、翻訳が悪いと根づかないんですね。おっしゃるように、非常に奇妙な言葉で語られてきたために、日本人にとって訳のわからない宗教になったんじゃないか。ただ不思議なのは日本でも戦国時代には、カトリックの信者が大勢いましたでしょう。
山浦 当時の聖書を見ると、翻訳が立派なんです。例えば、「愛」という言葉。ギリシャ語の原典では「フィレオー(好む)」と使い分けているのに、おそらく明治期に、中国語の聖書を参考に翻訳した人が、全部「愛する」としてしまった。でも、キリシタン時代の聖書では、「アガパオー」はちゃんと「大切にする」になっています。当時の宣教師は、そういう感覚をきちんともっていたんでしょうね。
養老 原典から直接訳したぶん、誤解も少なかったんですね。明治以降の神父さんたちは、もう少し言葉に敏感でよかったはずなんだけど。
山浦 よくキリスト教は"愛の宗教"といわれますけど、私、「愛」という言葉、大嫌いなんです。生活感がないでしょう。ある辞書に、「愛」とは「自己本位的感情」とあります。要は、めんこいのはいいけどブスはイヤ、しかも「めんこい」と「ブス」の基準は、自分のなかにあるというものですね。常に上から下への感情で、普通、目下から目上の者に使うことはない。だから、神様に対して使うなんてあり得ないんです。だいたいヒゲ面のイエスとペトロが、「あなたは、私を愛するか」「主よ、あなたを愛します」なんて、気持ち悪い(笑)。私の訳は、「俺を大事に思うか」「はあ、旦那様、俺ァおめァさまに惚れておりやす」。これなら、わかります。気仙では、男も男に惚れますから(笑)。

養老孟司×山浦玄嗣(開業医・ケセン語研究家)/「敵だっても、でァじ(大事)にしろ」これがイエスの心だと思います『Fole2004.12』

|

« ついこの間通った道 | トップページ | 頭の中の壁 »

宗教」カテゴリの記事

言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/26560/2133364

この記事へのトラックバック一覧です: 「愛」という言葉、大嫌いなんです:

« ついこの間通った道 | トップページ | 頭の中の壁 »