自分を育てる親は自分
美輪 私は、いつも若い人たちに、「自分を育てる親は自分よ」と言うんです。親や先生や、年上の人たちは人間の先輩としていいところもいろいろあるけれど、みんな、実は欠点だらけなんだ。だからいいところだけとって、悪いところは捨てればいい、と。
美輪 自分自身がいいことを聞いて、それを咀嚼して、いい人になるのも、あなたの一生。いい意見もなにも聞かないで、グレちゃって一生終わるのもあなたの一生。だから、自分を育てる先生も、親も、生徒も子供も、全部自分自身なんだと言うんですね。
よく新興宗教だとか、既成の宗教によってお金を騙し取られて、うちじゅうバラバラになったとか、いろいろ聞きますけれど、それも一つの菩薩行だしね。信仰というのは、自分自身を日常の生活の中で神仏と同じレベルに信じ仰げる人間性に高める作業で、自分と神様の直取引です。その間に入って、問屋みたいにこういうやり方もありまっせ、ああいう拝みかたもありまって、グッズも売ってまっせというのが宗教なんですね。
瀬戸内 アハハハハ。信仰と宗教、全然違いますね。
美輪 宗教というのは流通機構の問屋さんであって、企業だと私は思うんです。その企業の中には優良企業もあれば、豊田商事みたいなインチキ企業もある。
だから、たとえば法王だとか、教え主さんだとか、宗教によって呼び方が違いますけど、そういうトップは会長、社長で統一すればいいのよ。権大僧正とか、枢機卿だとかは全部副社長だとか、専務だとかいう名前にすればいい(笑)。お寺をあずかっている住職さんとか、教会の牧師さんや神父さんは支店長でいい、と。それからいろいろ勧誘して回っている人たち、祈伏したりしている人たちは、みんな営業部員じゃない。
宗教は三井、三菱、住友、丸紅と同じなんだから、たとえば住友のビルの玄関に入って、「私の魂救ってください」と言ったって、誰も救われはしませんものね(笑)。
瀬戸内 うーん(笑)
美輪 だから、宗教は企業と同じなんですって。だから、宗教と信仰を取り違えなさんな。信仰というのは信じて仰ぐと書くんだけれど、神、仏を信じて仰ぐだじゃなくて、自分をも、神、仏の一員として信じて仰ぎ尊ぶだけの自分に日々これ努めていって、反省して、心を練り上げていくのが信仰の作業だと。そして、それを手助けするために宗教がある。宗教はそれをただ商売にしているだけなの。それを割り切って、これはこれ、あれはあれと考えなさいと言うと、みんな、目からうろこが落ちるみたいですね。
ですから、やみくもにお坊さんでもなんでも、聖職者だから全人格的であるべきだなんて考えないことですよ。だってもしそうなら、この世に生まれてくる必要なんてないんですからね。修行するためにこの世に生まれてきてるわけで、完成されていたらもう如来になって、輪廻転生は卒業しているはずなんですよね。生れ変ってくる必要はないんですから。
そういうふうにして考えてみると、ただの人間ですから、坊さんのくせにとか、教師のくせにとか、言わなくてよくなりますよ。
瀬戸内寂聴×美輪明宏『ぴんぽんぱん ふたり話』集英社2003年
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