空中戦の幻影
人間の眼はカメラと同じで、何もない空の一点に焦点を合わせようとしても、なかなかピントは合ってくれない。それでもなおただの空間をみつめていると、だんだん瞼の裏が重たくなって、しまいには遠近感がなくなり、ぼやけてしまう。そこでパイロットたちは、はるか彼方の雲や水平線にまず焦点を合わせて、そこからしだいに視線をずらしながら、敵を探すのである。何しろ、飛んでいる戦闘機は、見えたとしても、ポツンと空の中に小さなゴミが浮かんでいるようにしか見えてこない。いや、はじめは、見えるという感じからは程遠い。何かがそこにあるという気配を感じとるのである。
空のその部分だけ、周囲とは違った空気が張りつめている。殺気を感じる、と言ってもよいのかもしれない。そこに眼を凝らしていると、ゴミのような小さな黒点が、最初はかすかに、やがてくっきりと焦点を結ぶようになる。
機影はしだいに大きくなっていくと言っても、映画のように戦闘機そのものの形が目の前に大きく迫ってくるわけではない。スローモーションの映像ならまだしも、こちらも相手もすさまじいスピードで向かってくる。互いに時速九百キロのスピードを出しているとすれば両者は千八百キロの速さで近づいている計算になる。高度にもよるが、音の一・五倍近いスピードである。見えた、と思ったら、あっという間に、米粒のような物体がすれ違っているという感じなのである。それを相手にするのだから、戦っているという実感はまず湧かない。蝿を追っているようなものである。和田三佐によれば、新人パイロットの頭の中から、「トップガン」などの映画を見るうちに形づくられてしまった空中戦の幻影をいかに払拭させて、米粒程度でしかない「敵」に対する闘争本能をどうやってかりたてるかということが、彼らを一人前の戦闘機乗りに育てていくさいの、大切で、しかしむずかしいテーマなのだという。
杉山隆男『兵士を見よ』新潮社1998年
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