人は失われた半身を求める
吉本さんは語る。<恋愛というのは、細胞と細胞が呼び合うような、遺伝子と遺伝子が似ているような―そんな感覚だけを頼りにして男と女がむすばれ合うものです。赤の他人なのに双子のきょうだいのような感じをもつ。そうした経験は、やはり稀有なもので、生涯のうちにそう沢山あるものではない>
運命的なそういう相手は必ず一人はいて、80歳を過ぎて死ぬ1年前に出会うこともあるだろうし、相手が異性ではなく同性のこともあるだろう、とも語る。
この恋愛論は、プラトンの恋愛論を思い起こさせる。プラトンは『饗宴』の中で、次のような神話を語っている。昔、人類は二人で一体だったが、ゼウスによって二つに断ち切られた。そのため、人は失われた半身を求めるようになり、それが恋(エロス)だと。
「プラトンの言うことはその通りだと思う。相手が間違っていなかったら、最後まで仲むつまじく添い遂げることになるでしょう」
しかし、現実には、顔の美醜や経済的条件や学歴などで選んでしまうため、相手を間違える。
「距離を詰めていって、同棲してみても、この人はいいなとなったら、一生続くのではないでしょうか。距離が縮まってきたら、顔なんて問題にならない。身分も育ちも教育も、ほぼ同等という理想社会になれば、少しの間で相手を見きわめられるが、今はそうではない」
自由で平等な社会ならば、他の条件を気にしないで、自分に合う相手を見つけることができ、理想の相手となら一生続くはずだ、という理屈になる。
「一夫一婦制は人類の理想だと思います。差別のある社会では難しい」
吉本隆明「超恋愛論」/著者からのメッセージ『YomiuriWeekly2004.11.14』
| 固定リンク













コメント