懲役13年
「私がこの事件に強い関心を持っているのはひとえに少年の文章力であると、『懲役13年』と題する作文を読んで確信した。不謹慎を承知で言うのだが、私は少年の文学的才能に魅了されている。かつて彼を模倣の天才だと書いたことがあるが、作文がニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』、ダンテの『神曲』から引用したものであっても彼の文章力に対する評価は変わらない。(柳美里『新潮45』九七年十一月号「『絶対零度の狂気」持つ少年たち)
いつの世も・・・・・・、同じ事の繰り返しである。
止めようのないものはとめられぬし、殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・・・・
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房の中・・・・・・
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
"何"が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。
魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、
あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。
それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせるのである。
とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられてゆく。「自分の中」に・・・・・・
しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。
大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、事実は全くそれに反している。
通常、現実の魔物は、本当に普通な"彼"の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際、そのように振る舞う。
彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう・・・・・・
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、
プラスティックで出来た桃の方が、
実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、
バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと
俺たちが思いこんでしまうように。
今まで生きたきた中で、"敵"とはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
しかし、最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである」
魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているのである。
「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。」
立花隆「正常と異常の間」『文藝春秋1998・3』
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