戦闘機体験
051号機は滑走をはじめた。意外にゆるやかな走りだなと思っている間に加速は増し、滑走路の路面も左右の風景も、いっさいがうしろにちぎれ飛んでいく。だが、離陸の感覚より次の瞬間の衝撃の方が圧倒的だった。あっ上がった、と体が離陸を感じとったとたん、まるでのけぞるようにすさまじい勢いでシートごと後ろに押し倒され、コックピットの外が青一色に染まった。なぜ地上が見えないんだろう。疑問が浮かんだが、すぐに氷解した。空だった。空に向かってほとんど垂直にF15は突き進んでいるのだった。これは飛行機じゃない。ロケットだ。全身をシートに押しつけられたまま僕は苦しい息の中でつぶやいていた。
それは、ちょうどベートーヴェンの「運命」の出だしの力強い四つの音が、徐々に高まっていく不気味な興奮と緊張、そして怒涛のような勢いで押し寄せてくる壮大なクライマックスを聴く者に予感させるように、これからはじまる一時間のフライトがいかにスリリングなものになるかを窺わせるのに十分だった。もっともスリリングと言っても、僕が投げこまれる戦闘機同士の空中戦という未知の世界のその先にいったい何が待ち構えているのか、予測はいっさいつかなかった。少なくともはっきりしているのは、これからの一時間が、僕の手を完全に離れて、このスーパーマシンと、それを操る竹路三佐、そして「運命」にまさに委ねられたということだった。
コクピットの中の僕は、二本のホースでF15の機体につながれていた。一本は蛇腹の太いホースで、座席お脇から出て、顔に装着した酸素マスクに接続してある。このホースを通じて九九・五%の純度を保つ新鮮な酸素が勢いよく送りこまれている。文字通り命の綱である。さらにもう一本のホースは、座席右側のさまざまな機器の操作パネルが詰まったコンソールから出ていて、その先端は、オレンジ色の飛行服の上に穿いた、腹巻きとズボン下を合わせたような衣服につながれていた。これがGスーツである。Gスーツの腹や足に巻きついた部分にはライフジャケットのように空気をためる袋がいくつもあって、Gがかかるとホースから圧搾空気が流れこむ仕組みになっている。Gも4Gを超えて、自分の体重の四倍以上の力が体全体に加わると、頭の血がどんどん足の方に下がっていき、視野がしだいに狭くなって、色彩が薄れ、あらゆるものが灰色一色に霞んでしまうという。
杉山隆男『兵士を見よ』新潮社1998年
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