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2004.10.21

人を見る、それが私の学校

私は花見より人見が好きです。私はアメリカのオハイオ州で生まれ、そこで幼年期を過ごしましたが、小さい時、働きに行く父と一緒に外出し、父が働いている間、大通りに座ってずっと父を待っていました。目の前には、いろんな人が通り過ぎていきました。時には、通り過ぎた同じ人がまた戻ってくることもありました。そうやって人を見る、それが私の学校でした。

 第二次大戦中はイタリア、フランス、アフリカ等でやはり人を見て勉強しました。1946年、進駐軍とともに来日。新聞記者として働き始めましたが、記者としての最初の仕事は、浅草、上野、銀座の通りで人を見ることでした。その時わかったのは、一番重要なことは、人間の考え方は違うが、人間の気持ちは世界のどこでも変わらないということです。
 今も私はよく街を歩く人を見て過ごします。が、東京の表参道で、ここが未来の街になってしまっているのに気がつき、非常にびっくりし、残念に思いました。ここでは、人々は携帯を見、人を見ず、また話さないのです。私の住んでいる下町では、銭湯でも公園でも電車の中でも、隣に人がいれば話しかけ、皆、隣人のようです。ここの人たちは、互いに楽に相手の中に侵入していきます。便利になり過ぎるのは、生きていくのにはとても不便なことです。

ドナルド・リチー/マン・ウォッチングTEMPO『週刊新潮2004.10.28』

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