中世ロンドンの呼び屋の声
一般に十七世紀以来の自然科学というものは、とにかく人間が自然に発する感性の表現を監視して、手なずけ、去勢し、これを抽象化し、そして無化する、というふうな態度を取ってきた、というのがアタリの考え方です。
ところが逆に人間が生きるということは騒々しいものであり、ただ死だけが静寂である、といったことを、こういった手なずける側は忘れている。労働の槌音、人間のざわめき、それから自然の物音、買ったり売ったりする物音、こういった音が聞き取れないところでは人間の生活は生き生きしたものにならないはずであるのに、特定の空間からはどんどん雑音は排除され、その結果、都市的環境において雑音は撹乱の観念を思い起こさせるに至る。そして、抑圧され、監視されてくる。
ところがこの雑音も人間の発する雑音が排除されるのであって、機械が発する雑音は、これは進歩の印として大いに歓迎され、迎え入れられた。ですから、イギリスではとくに十九世紀以降、雑音とくに喧騒音というものを、法律をつくってどんどん排除していった。それまでイギリスの街角ではクライヤーという呼び屋が非常にたくさんいて、歌とも呼び込みともつかないような声が満ち満ちていた。たしか中世のロンドンのそうした呼び屋の声を再現した『ロンドンの呼び売りの声』("Cries of London"、キングレコードSLA六三七九)というレコードがあったと思いますし、ルチアーノ・べりオも同じ題の曲を作っています。
鈴木忠志の演出した『スウィニー・トッド』というミュージカルでこの呼び屋が出て来ていました。そのクライヤーが排除されていった。さまざまな町で演技をする芸人というものが、排除の対象になっていった。同じ頃、騒乱に発展する傾向のあったサッカーなどのスポーツの自主グループはどんどん抑圧されて消えていったそうです。呼び屋などの人声の代わりに導入されてきたものは、今日いろいろ私たちが知っている。汚れたと都市の音の風景というものである。しかしこれも大体、今日生きている人間は初めからそれに慣れているからあまり気にしないので、一層そういった面を助長してきた。
山口昌男『自然と文明と想像力』宝島社1993年
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