これから伸びる人
夜遅くM温泉に着いて、寝る前にマッサージを頼んだ。男のマッサージ師が四〇キロ離れた町からやってきた。三十代の若いマッサージ師で、点字訳をやっているという。漢字をそのまま点字にする六字点字という方式だというが、詳しいことはよくわからない。
「お客さんは作家だそうですね」
とマッサージ師が言う。帳場で聞いてきたらしい。熱心な人でいろいろのことをきかれて、いささかとまどった。
「並木みち子さんという人はどんな小説を書いていますか」
「いや、あの人は歌手です」
「野口雨情は小説家ですか」
「あの人は詩人です。童謡を作詞してます」
「私は池波正太郎と藤沢周平さんのファンです。あと山本周五郎」
「あ、そうですか」
「原節子という人は女優でしょう。で、国木田独歩は作家ですか」
「はい、そうです、そうです」
「夏目漱石は作家ですね。いま点字に訳しているんですが、これから伸びる人です」
「でも、みんなもう亡くなりました」
というと、マッサージ師は、
「え、本当ですか」
とマッサージする手をとめ、
「惜しい人を亡くしてしまった」
と肩をおとした。
なんだか夢のなかの時間のようだ。
嵐山光三郎①北海道 クッチャンの竜と虎『日本詣で』集英社2001年
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