男性原理は文化によって、どこか無理してつくられた
柴田 以前、東京神学大学の大木英夫教授が、神様というのは、「汎神多神の状態からだんだん収斂されて、最後に唯一絶対の神になる」と書いておられたんです。それがいちばん進んだ形で、神様がたくさんいるのは原始宗教だと。でも、ぼくの認識では、緑の多いところは神様が多く、つまり陸上生態系の生産性が、森、畑、サバンナ、ステップ、砂漠と、緑の量に比して少なくなるのに整合して、神様も減っていくと思うんです。
養老 実際に、自然が残ったところに、多神教が残っていますね。アジアでも、早くから都市化した中国やインドでは仏教が衰退して、日本、チベット、モンゴル、スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムによく残っている。これはみんな、都市の中心からはずれたところなんですね。
柴田 文化人類学者が「天に神を仰ぐような民族はろくな生活をしてなかった」と指摘していますが、神様をたくさん養うには、それだけの生産基盤が必要なんですね。逆に、自然の乏しいところの神様は唯一神で、ちょっとヤキモチやきでケチンボ、しかも必ず男性の神様で(笑)。
養老 最近、読んだ『ダ・ヴィンチ・コード』という小説では、「最後の晩餐」に描かれている女性はマグダラのマリアで、キリストの妻だったというんです。そのことが、ローマ帝国がキリスト教を国の宗教として固定していくなかで消されていった。つまり母性原理が男性原理に置き換えられたことを書いているんですが、あちらの人たちも、男性原理は文化によって、どこか無理してつくられたものだということは、暗黙のうちに感じているんだなと。
柴田 一神教の原理と整合しないものが、消されていくんでしょうね。日本は汎神で、最高神とされる天照は母系神、山にも森にも川にも、果ては台所やトイレにも神様がいる(笑)。それは、それだけ豊かな自然の基盤があったということなんですね。
柴田敏隆(コンサーベイショニスト)×養老孟司/最近の子は動物を前にしても「テレビで見たから」と触りません『Fole』2004・10
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