スイカの種が動いた
クロちゃんが偉いのは、店の中で暴力沙汰の殴り合いがあっても、涼しい顔をしてビールを飲んでいることであった。店にはバーテンがいるわけではなくクロちゃんひとりである。女ひとりで店をはっているのだから、これくらいの度胸がなければやっていけない。それにしても、である。
クロちゃんの度胸のすわり方は並ではなかった。修羅場に咲く黒いバラであった。
ぼくは三十代のころ、クロちゃんのことをいくつかの雑誌に書いた。さんざん店に迷惑をかけたけれども、そのいっぽうで、ぼくは文庫屋を外敵から守る用心棒のような気分もあったからだ。筆がすべって嘘を書いた。
それは「クロちゃんは身よりのない捨て児で、橋の下のスイカの種と一緒にすてられていた」という作り話である。橋の上を通った人が河原の砂利の上にまかれたスイカの種を見つめていると「スイカの種のひとつが動いた。それがクロちゃんの目玉だった」と。どうもすいません。
クロちゃんがあまりに美しかったので、ぼくは、くやしくて、ついこんな作り話を書いた。
嵐山光三郎『日本詣で』集英社2001年
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