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2004.10.24

力道山の死因

昭和38年十二月八日、プロレスラーとして成功した力道山は赤坂のナイトクラブで刺される。この日、力道山は上機嫌だった。高砂親方が自宅に来て、大相撲の米国興業実現のために協力してほしいと頼んだからだ。自ら髷を切って角界を去った力道山にとって、こんなうれしいことはなかった。力道山は高砂親方らと赤坂の料亭でさんざん飲んだあと、ラジオ番組の録音のためTBSに立ち寄り、ニュー・ラテン・クォーターへ繰り出した。

 そして、このクラブのトイレで住吉連合系の組員と肩がぶつかったことからけんかとなり、組員に馬乗りになったところを下から腹をナイフで刺された。
 このとき、一緒にいた力道山の秘書吉村義雄氏に当時の状況を聞いたが、吉村氏は「命にかかわる傷ではないと思った」と話している。実際、力道山も大したことはないと思ったのか、いったん自宅に帰り、山王病院に入院したのは翌日未明だった。
 腹部の緊急手術は成功、日に日に回復していった。吉村氏も「これで治る」と思ったが、一週間後に腸閉塞が見つかり、再手術することになった。病室に詰めていた若手レスラーにサイダーを買いに行かせて飲んだのが原因だという噂がまことしやかに伝えられているが、吉村氏は「病室にはずっと付き添いもいたし、考えられない」と否定する。
 十二月十五日夕、再手術を終えて手術室を出てきた力道山を見て、吉村氏はあっと息をのんだ。顔が土気色をしていたからだ。「これはもしかしたら、危ないのではないか」と思ったという。不安は的中し、数時間後、容体が急変して力道山は亡くなった。吉村氏は、手術直後に院長が「リキさんは体が大きいし、酒もガブガブ飲むから麻酔を数倍打ったよ」と言ったことが、ずっと心に引っ掛かっている。刑事事件の裁判では、組員の弁護人が、麻酔の方法に問題があったのはないかと追求したが、真相は解明されていない。
 そんな中、岐阜大学医学部の土肥修司教授が著書「麻酔と蘇生」(中公新書)で興味深い推論を述べている。力道山は、筋弛緩剤を打って気管内挿管しようとしたが失敗を繰り返し、その間、呼吸ができなかったのが死因ではないかというのである。力道山のように首が太い人は気道が広がらず挿管が難しい。当時の麻酔の技術は現在よりだいぶ遅れていたので、気道確保に失敗したことは十分考えられるというのだが、果たして・・・・・・。

大川渉/東京オブジェ「第7回 力道山の墓」『TWIN Arch2004・11』東京商工会議所

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