世界はものすごくディテールに溢れている
養老 ちょっと、話題がずれるかもしれないけど、二日ほど前にある企業の研究会に呼ばれて、その日のテーマが「感性」だったのね。十年くらい前から、「感性について話してくれ」って依頼が多くなってて、僕は感性って言葉を使わないから、これはいったいなんだろうとずっと考えてたんです。
宮崎 広告でよく使われますよね、感性って。
養老 まず感性の基本には、ある種の「差異」を見分ける能力があると思う。それが広告のような商売では、気持ちのいいものを指向するわけだけれど、社会一般を考えると、さっきの怖いもの見たさじゃありませんが、当然、気持ちの悪いものも含まれる。平たく言えば、感性とは、「なんかほかと違うぞ」って変化がわかることと言っていいんじゃないだろうか。で、現代の人間、とくに子供たちが、いまどこにその差異を見ているのかを考えると、結局人間関係の中にそれを見ちゃっているんですね。僕らの頃は、「なんか違うぞ」っていうのは、「蟹がいねえぞ」だったんです。普通の大人は、蟹なんて商売にしてませんから、いなくなったってわからない。その差異を発見するのは、子供の感性だった。いまや子供までがそういったディテールを見分ける能力が抜け落ちてしまっている。
で、話はまた飛ぶんだけど、蝶は飛ぶときに、好き勝手に飛んでいるわけではなくて、「蝶道」と呼ばれる道に従ってヒラヒラ飛んでいるんですね。以前は僕の家の前にその蝶道があったんです。ところが家の裏に建て増しをしたら、その蝶道が消えてしまった。つまり蝶という生き物は、かなりデリケートに周囲の環境を把握していると思ったんです。その後ベトナムに昆虫採集に行って一番驚いたのは、今度は蝶道がハッキリ見えるんです。つまりあまりに蝶が多いものだから、その蝶道に沿って白い線になっている。そういう風景は、以前に海野和男さんが写真を撮ってて、それで見たときもビックリしたんだけど、当時はどうしてそういう行動をとるのか、意味がよくわからなかった。だって考えてみても不思議でしょう。どこへでも飛んでいけそうな蟻が、前を飛ぶ仲間を見ているわけでもないのに、デコボコまで同じように飛んでいる。でもそれを目の当りにして突然わかったのは、蝶は周囲の環境を全部それなりに把握して、脳から各運動器官に出力しているのだろうと。そう考えれば各個体の軌跡が全部一緒ということも納得できる。
ということは、今度は蝶がいったいどのくらい細かく周囲の環境を計算しながら飛んでいるのかってことに驚かされるわけ。そうやってハタと気づくのは、自然環境というのは、ものすごいディテールで成り立っていて、いまの人間は、それを完全に無視して生きているということです。
蝶に限らずそういう例はいくらでもあって、たとえば、胡桃の木を食ってる虫がいるけど、周囲に何本も胡桃は生えているのに、その木でしか採れないということがある。なんで別の木にはいないのか。そのことをいまの人間社会は無視してますね。で、前置きが長くなりましたが、僕は本来的に「感性」というのは、このことかと思ったんです。つまり、そういうディテールを感知する能力は、本来人間も持っていたはずなんです。昆虫だって知っているんですから。けれどもその能力を閉鎖して、環境を一律にとらえようとしている。そうやっていくうちに人間の感性は余ってしまたのではないかと。今度はそれを人間関係や都市の人工物に割り当ててるんじゃないだろうか。
宮崎 非常に面白いお話ですね。とてもよくわかります。
養老 それで僕は、"この世界はものすごくディテールに溢れているんだよ"という意味の象徴として、あのトトロの女の子の目つきが好きなんです。こうやってものごとを見てみりゃ、少しは見えるんだけどなあって。
養老孟司対談集『脳が語る科学』青土社1999年
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