老化の意味
老人には、どのような価値が残されているか。それについては、フランクルの『夜と霧』を思い出す。フランクルは、ベッドに寝たままで、ほかになにもできない患者に、どのような価値があるか、それを問う。それは、その人間が、自分の避くべからざる運命を、どのような態度で受け入れるかにある。それこそが、周囲の人々に、生きることの価値を知らせ、人々を勇気づける、と。それこそが、老年のためにあるような言葉である。
フランクルは、アウシュヴィッツにおいて、さまざまな体験をする。次のクリスマスには解放される、そう信じ込んだある囚人は、そのクリスマスの前夜に、腸チフスで高熱を発し、意識を失う。そしてクリスマスの当日に死ぬ。フランクル自身は、戦線が収容所に迫り、まもなく解放されることを知りながら、同じ仲間の囚人の墓を掘りに、森にやられる。彼はほとんど絶望する。なぜなら、仲間の囚人たちは、それに乗れば解放が待っているはずのトラックに乗るが、自分はそれに乗れないからである。しかし、トラックに乗った仲間たちは、じつはどこかに送られ、すべて殺されてしまったのである。
こうした極端な体験、それを知る人にとって、老化が人生の一部であることは、当然のことであろう。日々生き延びることが、ほとんどあるべからざる奇跡であるような人生、そこでは、老年はそれ自体で祝福されるできごとである。平和ボケし、老年になって、語るべきことを持たず、なすべきことを知らない、そうした人生なら、それを恥じるべきではないか。沢庵の言う「無慈悲の人」になるかならないか、それは老化の問題ではない。そこに至る生き方の問題にすぎない。
無慈悲の人:わがままに身をもち、人のために心神をくるしめず、人の辛労をかへりみず、我さへ苦しまずばと思ひて、心のゆるりとしたる人、必ず命ながし。是は無慈悲の人なり。
養老孟司『臨床哲学』哲学書房1997年
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