作業過程
作者が霊感の恍惚状態の中で書いたと主張するとき、彼は嘘をついているのだ。天才は一パーセントが霊感で九九パーセントが努力なのである(Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration)。
ラマルティーヌはその有名な詩―どれだったか、私はもう忘れたのだが―を、或る嵐の夜に或る森の中で、突如思いついたものだと書いていた。ところが、彼が没したとき、夥しい訂正や異文だらけの原稿が見つかった。そして、彼の詩は全フランス文学のうちでおそらくもっとも"推敲された"ものであることが判明したのである。
作家(または芸術家一般)が作業方法の規則のことを考えずに仕上げたというとき、それはただ、彼が当の規則を知っていることを知らずに仕上げた、ということを意味するに過ぎないのだ。幼児は母語をうまく使いこなすが、それの文法を書くことはできないであろう。とはいえ、文法家だけがその言語の規則を知っている唯一の者であるわけでもない。幼児とても、無意識にとはいえ、その規則をよく知っているからだ。文法家とは、幼児がなぜ、かつどのようにして言語を識るようになるのかを知っている者に過ぎないのである。
いかに書いたかを語ることと、"上手に"書いたことを証明することとは、別なのだ。ポウも言っているように、作品の効果と、作業方法の知識とは別ものなのである。カディンスキーやクレーがいかに画いているかをわれわれに語るとき、一方が他方よりも上手に語っているわけではない。ミケランジェロが、彫刻とは石の中にすでに"刻まれている"姿からその"余分なもの"を取り去ることだというとき、ヴァティカンの『ピエタ像』がロンダニーニのピエタ像よりも優れているといっているのではない。
芸術的過程についてのもっとも開明的なページの多くは、ヴァザーリ、ホレーシオ・グリーナフ、アーロン・コプランドといった、自らはささやかな作品しか生みださなかった、自らの作業方法については極めてよく省察することのできたマイナーな芸術家たちによって書かれてきたのである。
ウンベルト・エコ『「バラの名前」覚書』而立書房1994年
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