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2004.08.31

頸から上下の文化

平家物語には、解剖学的にいうなら、頸の話が多い。頸を切る話、切られる話を挙げていけば、枚挙に暇がない。それは武士の話だというなら、その習慣がどこから来たか、それが気になる。正史に登場しないだけで、頸を取ることは以前からあったのかもしれない。

 平安時代は日本最初の大きな都市文明期であり、中世を挟んで、人類に普遍的ともいうべき形の都市文明が、ふたたびこの国の歴史に戻ってくるのは、近世つまり江戸に至ってからである。その古代から中世への移り変わりに、頸の話が頻出するのも、ひょっとしたら偶然ではあるまい。平安の貴族は頸から上だが、武士は頸から下なのである。文字やことば、詩歌管弦という貴族の作業は、基本的に頸から上で、武士の作業は東西奔走、身体の移動、つまり頸から下である。この二つの作業は脳のなかで、不思議なことに「切れている」。解剖学的に、脳のなかでは、両者は連続していないのである。だから最後に、武士もまた、江戸に至れば文武両道になるらしい。文はもちろん頸から上で、武は頸から下である。ニーチェは『悲劇の誕生』のなかで、ギリシャ悲劇はアポロ的なものとディオニュソス的なもの、すなわち造形美術と音楽との対立によって、発展してきたと述べる。これを翻訳すれば、目と耳との対立関係である。その言い方を借りるなら、日本の歴史と文化には、頸から上と、頸から下の対立関係がある。それによって日本の文化は発展してきたともいえよう。

養老孟司『臨床哲学』哲学書房1997年

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