あれは狂人の目だよ
この店には三島由紀夫の初版本や書が多い。「至誠」と大書したのがあった。はっきりいってしまえば、決して上手い字ではない。それに「至誠」とは、何を言いたかったのであろう。
あれだけ物を考えぬき、鋭い洞察力と知性、教養を具えた人が、といぶかしく思ってしまう。しかも力んでバランスがとれないこの字は何なのだろう。気迫のようなものはあるといえばある。しかしいかにもまずい字なのである。
そういえばスポーツ刈りのあの風貌も、知的という印象ではなかったように思う。どちらかと言えば街のアンチャンのような顔で、ジャンパーを羽織ると、それこそ「からっ風野郎」なのであった。
かといっても実物は一度、遠くから見かけただけである。「サド侯爵夫人」の初演の日で、紀伊国屋ホールの喫茶店に三島由紀夫と川端康成が座って談笑していた。店の中の客は皆、一応知らんふりをしているのだけれど、全員の神経がその二人の方に集中しているのは明らかであった。
三島が例のガラガラ声で、
「褒めるところがないもんだから、あんなこと言って・・・・・・」
と大声で笑った。
ついそっちの方を見ると三島と一瞬目があった。その目に常人にはない光があったのである。それはまさに日本刀のような、一種凄味のある光で、私はなるほど、と思った。あの複雑にゆがんだデリケートな顎と目の光は一生忘れられない気がする。
などというのは、単に私の思い込みかも知れないが、こんな証言(?)もある。その後うちの近所の歳とった鮨屋の親父と話がたまたま三島のことになったら、親父が何だか急に怒り出して、
「俺たちのことなんか人間と思っちゃいねえ、あれは狂人の目だよ」
と言い放ったのである。何か嫌なことでもあったのかと思ったら、ホテルに入っている鮨店で働いていたとき、三島が客として来た時の印象が悪かったのであるという。親父は怯えたような話し方でもあった。
奥本大三郎/東京美術骨董繁盛記『中央公論2004.8』
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