奥田木骨
奈良・平安期に伝わった中国渡来の伝統医学と、南蛮渡りの西洋医学の知識が融合する形で、日本独自の医学が体系化し、発展を遂げたのが、まさに江戸期であった。
本草学の発達と、『解体新書』に代表される西洋医学の知識の普及により、江戸期の医療の発達は目覚しかった。特に江戸後期の医者は、現代のような国家資格制度はなくとも、治療するための技術が厳しく問われた。「腕のいい医者に人は集まる」という点では、江戸期も現代も同じだった。医師は常に新しい医術を学ぶ姿勢が求められたのだ。
その象徴的な一品が、漢方の整骨医が勉学のために木工職人に委託して作らせた「木骨」である。本物の人骨を使った標本は欧米でも製作されていたが、木骨というのは世界的にも類を見ない。江戸期に計九体製作されたという記憶があるが、現存するのは四体である。
この「奥田木骨」は、整骨医・各務文献の弟子にあたる奥田万里が、文政ニ(一八一九)年に大坂の指物師・池内某に作らせたもので、完成には二十数ヶ月を要したといわれる。
当時はまだ骨格全体に関する正確な知識が普及しておらず、奥田や池内は解剖用の死体を処理して残ったパーツを作り、類推しながら組み立てるしかなかった。両膝の部分がかなり太く仕上がっているのも、膝骨そのものが欠損していたためと思われる。それでも、見よう見まねでこれだけの模型を木工により作り上げたのだから、その熱意と技術力の高さには驚きを隠せない。
日本オリジナル! 驚きの人骨模型再現術/『Fole2004.8』
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