かぐや姫は「結婚したがらない娘」
かぐや姫はあきらかに「結婚したがらない娘」という、神話タイプに属しています。娘が結婚してよその家に出ていきますと、両親はなにかを失ったような喪失感におそわれるでしょうが、そのかわりに(昔の社会では)社会的広がりが獲得されました。
自分の持っているものを他人に与えることによって、人と人のつながりは発生しますが、結婚はその意味でも社会のつながりをつくりだす最良の方法だと考えられていました。ところが「結婚したがらない娘」のタイプの神話では、両親が異常にケチだったり、娘が兄弟の一人に恋をしていたり、という話が語られます。家族が自分たちの内側にこもってしまって、社会的なつながりを発生させないわけですから、これは社会にとって危険な状態をあらわしていることになります。子供どものいない夫婦もそうでしたが、「結婚したがらない娘」も、社会にとっては危険な状態をつくりだしかねません。こういうときには、普通の人でない人のお嫁さんに迎えられていく、というのが考えられる解決策で、『竹取物語』でもここで帝が登場してきます。
美しい娘がつぎつぎと有力な求婚者たちを斥けているという噂を伝え聞いた帝が、后にほしいと言いだしたわけです。さすがに今度は断れないでしょう。なぜなら、帝は普通のレベルを超越している方ですから、「結婚したがらない娘」としては、この帝を受け入れたっていいわけです。しかし、かぐや姫は人間の一切の求婚者を拒否します。帝が乗り物をかぐや姫の屋敷へよこすと、おじいさんとおばあさんをあとに残して、彼女は月に去っていってしまいます。帝よりも月の方がはるかに高くて遠い超越的な世界をあらわしていますから、竹の空洞の中にいた女の子は、とうとう月という「極端に遠いところ」に行ってしまいました。アメリカ・インディアンの神話ですと、こういう少女は夫を探して、熊やコヨーテなどのいる動物の世界にいってしまうことが多いのですが、ときには星や太陽や月と結婚することがあります。こういう少女たちは、人間の世界で一切の「媒介された状態」を実現できなかったのです。帝の求婚さえ斥けて月に去っていくかぐや姫は、こういう少女たちの仲間として、地上的なおさまりどころを、どこにもみつけられなかったのです。
中沢新一『人類最古の哲学』講談社選書メチエ2002年
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