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2004.06.16

おかしな構図、歩く芸妓

広重の「真乳山山谷堀夜景」は「美術作品」を制作していたのではなく「情報」を製作していたのだと理解した。

 この絵はどこかが変だ。その妙な感じはこの絵の構図からくる。
 この絵の芸妓は今にも画面から出て行ってしまいそうだ。この絵を見ている者が瞬きしている間に、その芸妓は画面から消えてしまう、そのようなおかしな構図なのだ。
 この絵は夜の山谷堀を描いている。本の印刷では黒くてわかりにくいが、実物では、夜の暗さ、対岸の街の明かり、空の星と水面に映る星が美しく掘り摺られている。
 広重がその夜景を描いていると、芸妓がふっと通りすがったという構図である。
 このような不思議な構図の絵は見たことがない。しかし、この絵はつい見過ごしてしまう。これは絵としては不自然な構図なのだが、われわれには不自然ではない見慣れた構図なのだ。それはなにかな、と考えている時ハッと思い出した。
 そう、これは「写真」なのだ。
 ある風景を撮るためにカメラのシャッターを下ろす瞬間、カメラの前を誰かが通り過ぎてしまう。
 写真を撮る現代人にはよくある出来事で、これはシャッターチャンスの失敗の構図なのだ。
 だから、絵としては不思議な構図だが、われわれには見慣れている構図なのだ。
 これは絵ではない、写真だ!
 では広重は写真を模写したのか? という疑問がわいてくる。
 日本で最初に写真が撮られたのは一八四〇年代である。広重が没したのは一八五八年で絵描きの彼が写真を知らなかったはずはない。しかし、当時の写真技術は創成期で、ダゲレオ・タイプからタルボット写真術に改良されつつあった時代である。その当時、最新のタルボット写真術でも露光時間は三分もかかり、被写体の人物は身動きできない苦行を強いられていた。今の機能を持つ写真機が登場するのは二〇世紀のドイツのライカ社、米国のコダック社の開発を待たなければならない。
 広重が写真を知っていたとしても、それは現代の写真ではなかった。今の写真は「一瞬」を写し撮るが、当時は者や人物を正確に写す、絵でいえば静物画であり一瞬を撮るという概念はなかった。
竹村公太郎『日本文明の謎を解く』清流出版2003年

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