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2004.06.02

糞尿博士

これまでの人生で先生もいろいろな人物に会ってこられたと思いますが、最も感銘を受けた人はどういう方だったですか。一人だけ挙げてください。ぼくは、できることならその人の真似をして、人生を送って生きたいと思います。

 中村浩さんという博士がいた。この人はウンコの研究をしていたんだ。人類は人口爆発、異常気象、その他のことから、やがて餓死するような危機にさらされるであろうと先生は考えて、いまから手を打たなければダメだと、ひとり発奮し、地球上にある無限の資源はうんことおしっこしかないという点に目をつけた。そして、これから有効成分を抽出し、それを食料品あるいは栄養に転化する研究をしていた人である。
 そこで先生は、まずクロレラの培養につとめた。クロレラは栄養分に富んでいるけれども、まずい。しかし、ごく小さな面積で莫大につくることができる。先生はその研究を完成した。あとは味覚だけの問題だというところまできたのだったが、不幸にしてあの世にお去りになった。向こう岸にいってしまわれた。
 さて、先生はまことに向学心の旺盛な方で、日本にじっとしていられなくて、世界中のうんこ学者に手紙を出し、世界を漫遊したのだが、その記録が本になっているから、どこか古本屋で見つけて読んでごらんなさい。『糞尿博士・世界を行く』という題だったと思う。
 先生はひとりで、ロケットが月へいく前にすでに、ロケット飛行士がロケットの中で出すおしっこを水に還元して飲むという、リサイクルの装置を発明なさった。しかもそれは、ポータブル型である。
 これをもって先生はNASAの研究所へ乗り込み、オレはこういうものを開発したんだが、ソチラはどうなんやと訊いた。すると向こうは、遠心分離機かなんかの装置を持ち出してきて、これだ、ちゃんと考えてあるという。そこで先生は、じゃあ較べてみるかといって、お互いのおしっこを出して、その機械にかけたみたんだな。そうすると、向こうのはまことにきれいなH2Oが出てきた。これは水であるが、H2Oだから味がない。しかし先生は日本人であり、味というものを尊重していたから、水であるだけでは不十分だ、味覚も大事でっせ、オレのを飲んでみろやと自分の携帯リサイクル機から取りだした水を相手に飲ませました。そのアメリカ人の技師は飲んで小首をかしげ、ふむ、オレたちのよりよくできている、better than us といったとか。
 こういう先生である。晩年に近いころ、私は先生を尊敬するあまり、よくお目にかかっていたんだけれども、そのときの会話によると、そのころ先生は、うんこを人工的につくるとどうなるかという研究をしていらした。いろんなものを放りこんでうんこをつくるんだが、どう頑張ってみても天然のあのねっとり、あの絶妙の匂い、あのこくのある香り、これがどうしても出せない。淡白なうんこしかできない。やっぱり天然には負けるといって嘆いていらっしゃった。当時の値段で、確か二万円かかったとか。
 だから、これから君はトイレに入るたびに二万円ずつ出しているんだと思うこと。ギョーザを食っても北京ダックを食べても、出てくるものは二万円のものなんだ。おわかりか。三百円のギョーザを食べて二万円のうんこを出すという経済学はマルクスもケインズも思索していないはずである。この点でも中村先生は先覚者であったわけだ。
開高健『風に訊け』集英社文庫2003年

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