形の認識と精神発達の関わり
ものはそれぞれ固有の形をもっている。色と同じように人間はその形を認知してさまざまに判断や感情に変えていくのだが、その過程において一定の法則がある。
生まれてから人間としての形の認識過程ができるまでには一つの段階があるのである。
人間は、生まれるとすぐに、母親のオッパイにしがみつき、むさぼるように乳首に吸いつく。本能的に生命を維持する手段を知っているのである。さらに数ヶ月たつと乳首をもて遊び、乳首をまさぐるようになる。オッパイの形を自らの感覚にとりこんで安心感を得ようとするのである。軟らかさ、暖かさ、しなやかさ、などに加えて、半球状のまるやかさは、初めて「形」が人間にもたらす心理的快愉の感覚である。
もちろん、形と同様に乳房の肌色も、乳首のピンク色も、乳児に快愉の感情を与えるのだが、手や頬や唇を通してじかに確かめうる形よりも、視覚を通して認知する色のほうが、感覚される時期は遅れる。その証拠に、乳児は生後一年半くらいから乱画と称して、鉛筆やクレヨンを持たせると円のような意味にない乱れた形を描く。それは単に自動的に手を動かしているように見えるが、実は主体的表現行為の始まりなのであり、筆者はこの時期を「なぐり描き期」と呼んでいる。
この過程において母親の乳房にじかに触れてその形を確かめることができるかできないかは、将来の情操に大きな関わりがある。乳児は自分が生きていくためになくてはならない乳房の形を掌の中に確認し、母親に強く抱きしめられることによって安全感を得る。その安定感は将来の情操を育てるの重要な役割を果たし、さらに心理的な自律へとみちびいてゆく基本的な役割を果たすのである。次いで、子どもは三歳ぐらいになると「なぐり描き期」から脱して、三角や円をもちいて人や山や自動車を表そうと意図するようになり、筆者はこの時期を「稚拙象徴画期」と呼んでいる。その後、他人にもはっきりとわかる形で絵を描くようになり、この時期を筆者は「パターン画期」と称している。過去にパターン画を描いた記憶はだれにもあるはずである。たとえば、戦前の子どもならば日の丸を描き、三角屋根の家を描き、電柱のような一直線の幹に三角形の樹冠が乗った木を描いた。あるいは三角形の富士山にヒゲの生えたような円形の太陽を描いた。現代の子どもたちは昔の子どもよりも多少描画対象が増え、同じような家や木のほかに、お人形やヌイグルミの犬、英雄ロボットなどをパターン化して描くことが多くなった。
この時期の特徴は、形を描いているのだが、現実の対象をそのまま描くのではなく、あらかじめ頭の中に「パターン化された形」を現実に押しつけて描いているのである。子どもは現実の対象を見てそれを自分の心の中にとりこもうとするのではなく、自分のイメージにあらかじめ一定のパターンをインプットしておいて、現実における対象の刺激に応じて、自分があらかじめもっているパターンとしての形をそこに表現しているのにすぎないのである。
この時期から七~八歳の「叙述的写実画期」を通過して、九~十歳の「視覚的写実画期」に至ると、はじめて見ている現実の対象を、なるべく見たままに表現しようとする。それは、自分と外界、自分と他者の関係が客観的に認知できるようになるからである。それ以降は一定のコースが解消され、個性に応じて自由な表現方法がとられる。このように「形」の認識と表現コースは、"母や父との出会い""自己表出""外界との関係の確立"というように、人間の精神発達とまったっく平行して進んでいるのである。
岩井寛『色の形と深層心理』NHKブックス1986年
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