終わらぬ苦海
―魂的なものを大事にしながら生きてきた水俣の漁村の姿は『苦海浄土』の基調となる風景ですが。
日本の近代は、コンクリート文明の申し子というか、生命を足の裏で感じることのできない、観念だけの人を育ててしまったのかもしれません。チッソ前で座り込みをしていた夜明けに、カリカリと音がして目を覚ましたら、猫がセメントをかいていました。排泄の後、その姿を見られるのを恥らって、土をかき寄せるのが普通ですが、東京のネコは可哀そうに、かぶせる土がない。存在が歪められているのです。健やかに生きてゆけなければ、荒っぽくなりますね。一斉に生物が優しさをなくし、存在自体が暴発する世紀になってしまいました。
―その漁師の男性は、患者認定の申請を取り下げていますが、これも「許し」なのですか。
自分がチッソで働く立場だったらどうだったろうと考えたそうです。草木も含めて命はそれぞれ物語を持っていて、切り売りできるようなものではない。なのに、裁判や補償では全部カネで換算されてしまう。「『生命の記憶』を換算してカネでもらい、後でモノが言えんようになるのは嫌だ。生命の記憶をお互いに取り戻さないと世界は成り立たない」と言っています。緒方さんです。(中略)
―『苦海浄土』の出版が始まって35年です。まだ書けてないこともありますか。
さきほど申し上げた、大変深遠な哲学とともに復活しようとしている患者さんのことですね。人間がここまで切実で、健気で、崇高になれるとは、灯火を見るような思いです。それと、病人を看病した人たちも、また病人で、未認定患者や名乗り出ない人であったことも。
石牟礼道子氏に聞く/終わらぬ苦海から浄土を拝む『サンデー毎日2004.7.11』
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