文学者の死・・・森鴎外
文学者は「死」とどう向き合ったのか。例えば、森鴎外(1862~1922)は平凡といえばおかしいけど、家族に看取られながら死にました。ただ、鴎外の遺書みたいなものを見ると、「石見に国の住人、森林太郎」とだけ墓石に刻んでくれればいい、他の位階勲章等はいっさい書いてもらっては困る、その旨言い残しています。
まあ、その通りになっていますけど、その遺書から判断すれば、「現世で自分が生きたことは全部否定する」というふうに言っているわけですね。つまり、陸軍軍医総監まで上りつめた肩書であるとか、文豪の森鴎外であるとか、そういう称号はいっさいいらない。要するに、死に際して生を全部否定したということになる。その通りに受け取れば、生涯を生きてきたことは無であり、自分の生き方を全部否定したことになるのではないか。あるいは否定することで、初めて自分の死を迎えられる。そう考えたのではないでしょうか。
そうする、鴎外が考えた「死」はいろんな言い方ができると思いますが、自分の生きてきた「生涯イコール(=)死」で、余りもなければ過不足もないということになる。死しかないとなると、初めから生きていないということになるんだけど、そうではなくて、ずっと生きてきて、しかも高位高官でもって生きてきて、才能を文学で発揮してきたんだけど、死に際してはイコールだった。死でもってそれは全部帳消しだ、というふうに考えたのではないでしょうか。
つまり、半分は自分の意思で生涯を送るんだけど、元をただせば自分が生んでくれといって生を受けたわけではない。半分は自分の意思ではない、と鴎外は言っているわけです。普通はどう考えるかというと、半分だけは生んでもらって自分の意思で生きてきたんだけど、あとの半分は偶然生まれたかもしれないが、そういうことも自分の死の中に含ませることによって、かろうじて死とイコールになる。
しかし、鴎外の場合は生んでくれたのは親だ。自分の生涯というのも本意じゃない、あるいは本意ではないことばかりしてきた。だから、自分自身で生きてきたことも否定するし、もちろん親が生んでくれたことも考慮していない。親が生んでくれた事実と、自分が生きてきた事実のうち、自分が生きた部分だけは帳消しにしてもらっていい。それが鴎外の死に対する迎え方だと思います。そうすると親が名づけてくれた名前だけ残るから、墓石に刻んでくれといったんでしょうね。
吉本隆明『老いの流儀』NHK出版2002年
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