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2004.06.03

ミズーリ号への道

明日は東京湾上に於いて調印に候。「日本も日本人も生れ変るを要し申し候」が重光の心境であった。九月二日、宿舎の帝国ホテルで午前三時起床。身の回りの世話をしてくれているのは女中頭のお年さんで、この日も午前四時には部屋に来、お茶を淹れてくれ、着る物を手伝ってくれた。

 余談だが、お年さんが重光をどう見ていたかを紹介したい。竹谷年子『客室係がみた帝国ホテルの昭和史』である。
 終戦をむかえた昭和二十年は、格別に暑い夏でした。来る日も来る日も晴天続き。秋近くになっても、雨の降る気配がありません。そのころ、重光さんは、二四四番と二四八番の続き部屋にお泊りになっていましたが、毎日、早くにホテルをお出になっては、夜、汗だくになってお帰りになりました。
 戦争に敗けた国はどんなふうになるのか、私には何一つわかりませんが、重光さんは、敗けた日本の、その矢表に立っている方でした。ふだんからあまりお話にならない方で、「お早うございます」とか「行ってらっしゃいませ」ぐらいしか私は口にしたことはありませんでしたが、でも、黙っていらしても、何かしらあたたかい感じがあって、おやさしい方なのだな、といつも思っていました。
 ・・・・・・そのときちょうど、父が焼け跡を耕して、畑を作っていたんですが、焼け跡の土は、野菜がよく出来るんですね。ほうれん草でも、トマト、胡瓜でも、味のよいのがいっぱい出来たものですから、「持っていきなさい」って父が包 んでくれたんです。鶏も飼っていましたから、卵もありました。それで生野菜のサラダを作って、重光さんに召しあが っていただいた、そんなこともありました。
渡邊行男『重光葵』中公新書1996年

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